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今週の「直言」

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ドイツからの「直言」コーナー


2017年9月18日

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9月24日のドイツの総選挙(連邦議会選挙)まで1週間をきった。ドイツを車で走っていて、「選挙近し」を感じさせるのは街中のポスター掲示板や道路沿いのポスターである。なかには商品の宣伝や催しもののポスターと一緒の掲示板もあって、水着姿の候補者?と思ってよく見ると、婦人用品店のポスターで苦笑いしたこともある。ドイツはいわゆる「小選挙区比例代表併用制」(顔の見える比例代表制)を採用しており、大きな共用掲示板には政党ポスターと候補者ポスターが同時に貼られている。ちなみに、日本の現行制度は「小選挙比例代表並立制」といわれるが、私は小選挙区に過度にかたよった「偏立制」と呼んでいる(この制度の根本問題が何ら改善されることなく、その8回目の総選挙が10月に行われることになる。安倍政権の統治手法、「情報隠し」「争点ぼかし」「論点ずらし」「異論つぶし」「友だち重視」の全面展開である)。

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今回の旅は、南のバイエルン地方を中心にまわったので、アンゲラ・メルケル首相の与党、キリスト教民主同盟(CDU)のポスターはなく、姉妹政党のキリスト教社会同盟(CSU)のポスターと、ホルスト・ゼーホーファー党首の写真を多く見かけた。ある村の役場前の掲示板(冒頭の写真)には、ゼーホーファーと極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)のポスターにだけ、「人種差別主義にノー、反ユダヤ主義にノー・・・」というスローガンを書いた黒い紙がべったり貼られていた。田舎道を走ると、極右AfDの「敢えてもっと民主主義を」なんてポスターもあり、思わず車を路肩に停めて、撮影に走った。後半、ノルトライン=ヴェストファーレン州に入ると、メルケル首相と連立与党の社会民主党(SPD)のマルティン・シュルツ党首の大きな立て看板が目立つようになる。与党CDUの「安全と秩序のために」というポスターの上に、左派党の「平和:軍縮! 武器輸出をストップ」が貼ってある街灯もあった。フランクフルト市内では、左派党のさらに「左」、旧東ドイツ政権党とつながる化石のようなドイツ共産党(DKP)(前々回の総選挙では得票率0.0%、得票数1894票)の超レアなポスターも見つけた

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上記の写真は、旅の後半、ボンの連邦政治教育センターで入手した『連邦議会選挙―いま私はそれを理解する!』というパンフで、けっこうおもしろい。選挙制度や選挙についてクイズ形式を採用し、イラストや漫画もふんだんに使われている。写真なかほどのバイエルン州政治教育センターの小さめのパンフ(『2017年9月24日の連邦議会選挙』)も、選挙の5大原則(普通、直接、自由、平等、秘密)の意義、いわゆる小選挙区比例代表併用制の仕組み、得票率5%に満たない政党に議席を配分しない「5%条項」や、「併用制」をとった場合に出てくる「超過議席」の問題などについてもしっかり解説した上で、選挙への参加を求めている。もっぱら「投票に行こう」と呼びかけるだけの日本とは対照的である。

今回の総選挙は、メルケル政権が4期目に入るかどうかが焦点となっている。いまのところメルケル与党の勝利は揺るがないようだ。シュルツは1994年に欧州議会議員となり、今年1月まで欧州議会議長を5年間やっていた。その彼が3月にSPD党首に選ばれ、首相候補となった。4月くらいまでシュルツ人気が一時的に高まり、政権交代の可能性が語られた時期もあったが、その期待は急速にしぼんでいった。ボンで会った友人曰く。シュルツはEU政治家で、取り巻きたちは付け焼き刃的に国内政治の知恵をつけたが、残念ながら説得力はいま一つ。メルケル首相の4期目は動かないでしょう、と。私たちがドイツを離れる日(9月3日)夜に行われたテレビの党首討論(TV-Duell)ではシュルツの方が視聴者の得点を稼いだものの、SPDの支持率上昇にはつながらなかったようだ。

先進国首脳会議の「長老」となったメルケル首相の存在感は大きい。トランプ政権との距離のとり方も見事であり、彼女はトランプに徹底的に嫌われている。この点で、「100%米国・トランプ支持」の安倍首相との違いが際立つ。ただ、難民問題で批判が集中し、姉妹党のCSUゼーホーファー党首との不協和音が聞こえてきている。長期政権によるマイナスもいろいろ出てきている。来週以降、連立の問題に関心は移るだろうが、「清新な党首」がリードする自由民主党(FDP)が久々に議席を増やす見込みもあって、選挙後の連立政権の組み合わせは、「信号機(アンペル)連合」(赤・黄・緑)や「赤・赤連合」の可能性は低く、現在と同じ「大連合」か、「ジャマイカ連合」(ジャマイカの国旗のように黒・緑・黄)になるだろう。〔※注 赤=SPD、赤=左派党、黒=CDU、黄=FDP、緑=緑の党〕

むしろ、この総選挙で注目されるのは、極右AfDが連邦議会に初議席を、しかも大量に得ることである。ハイコ・マース法相(SPD)は強い危機感をもって、「1949年以来初めて、その綱領が部分的に違憲である政党が5%条項を突破する」(Frankfurter Rundschau vom 12.7.2017)と述べている。イスラム教の礼拝形式の禁止や伝統的家族制度の復活、移民排斥、反ヨーロッパ政策(ユーロの廃止)などは、マース法相によれば、基本法の信仰の自由(4条)や平等条項(3条)、欧州条項(23条)などの憲法的価値原理に反するというわけである。そうした政党が、基本法施行70周年を前にして、二桁のかなりの議員を擁して国政レヴェルに登場する。

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さて、今回の旅では、ドイツの憲法である基本法の制定過程で重要な意味をもつヘレンキームゼー(Herrenchiemsee)を再訪した。17年前に訪れたときは夕方に到着したため、船に乗って島までは行けなかった。今回、8月22日午前中に着いた時、避暑の人々や観光客の車で駐車場は満杯。あきを探すのに難渋した。波止場には、観光船のチケットを買う長い列が出来ている。私は片道15分のヘレン島だけなので、列に並ばずに船に直接乗り込み、船員から直接チケットを買った。キームゼー(湖)には男島(Herreninsel)と女島(Fraueninsel)がある。観光客は、冒頭の写真にある男島のNeues Schloßがお目当てだ。バイエルン国王・ルートヴィヒ2世が「破滅的浪費王」といわれるだけあって、贅沢の限りを尽くした宮殿である。寝室のきらびやかな装飾やシャンデリアにはとにかく驚かされる。だが、ここでの私の問題関心はAltes Schloß(Augustiner-Chorherrenstift)の方である。冒頭の写真では、上部の赤い屋根の小さな建物である。バロック様式の大広間の先が「憲法博物館」になっている。ルートヴィヒ2世のダイニングルーム、後に7号室と呼ばれる、さほど大きくない部屋で、ドイツの憲法は生まれた

戦後ドイツは米英仏ソの4カ国により分割統治をされたが、1948年7月1日、英米仏の西側3カ国占領軍司令官は、西側占領地区諸州(ラント)の首相たちに憲法制定を命じた。すでにヘッセンやブレーメンなどで州(ラント)憲法が制定されていたが、西側占領地区だけの統一した憲法(Verfassung)を制定すれば、ソ連占領地区との分断が確定し、ドイツの統一を困難にする。さまざまな思惑が交錯するなか、「憲法」ではなく、暫定的な響きと香りがする「基本法」(Grundgesetz)という名称が選択されたのである。

基本法制定の会議はボンで行われることになっていたが、8月に入るや、バイエルンのこの場所に審議の場が移された。なぜボンから一時離れたのか。ボンの夏を2回体験した私としては、けっこう8月は暑い。普通の人々も長い夏休暇(Urlaub)をとるので、風光明媚な避暑地でじっくり議論をするというのはよくわかる。もう一つはメディア対策である。湖に浮かぶ小島の宮殿ならば、新聞記者たちが押しかけることは困難である。ソ連と東側占領地区の人々を意識して、慎重かつ周到に基本法草案を準備するためには、またとないロケーションである。

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8月10日から始まったこの会議を、「憲法会議(Verfassungskonvent)」という。西側占領地区の11州の首相ないし筆頭閣僚が代表として参集した。それに優秀な法制官僚、憲法学者のハンス・ナヴィアスキーとテオドール・マウンツ(私は大学院時代、その著書『ドイツ国法』(Deutsches Staatsrecht)を研究会で報告した)も参加していた。 窓から日時計が見える2階の7号室でその会議は開かれた。散歩道から見上げると、窓の下に石碑があり、そこには、「この建物で、1948年8月10日から23日まで、ドイツ連邦共和国基本法の準備のための憲法会議が開催された」とある。観光客たちが「このアジア人は何やっているのか」という目で通りすぎるなか、年輩の男性が一人立ち止まって、私が撮影している碑を一瞬見て、私に微笑みかけて去っていった。

7号室はきれいに保存されていて、正面には当時の会議の写真。州首相たちが座っていたところに焦げ茶色の柱が立っている。席次も示されていて、憲法学者のナヴィアスキーとマウンツは、議長のアントン・プファイファー(バイエルン州国務大臣)のすぐ横に席を与えられている。8月10日(火)午前10時15分にプファイファー議長が開会を宣言。部屋にはその初日の議事録が展示されている。会議には30人の法律専門家や政治家が参加しており、3つの専門委員会に分かれて徹底的な検討が始まった。第1委員会は前文、名称、国家領域、憲法裁判権、第2委員会は立法、司法、行政の権限と財政制度、第3委員会は国家機関の構成や機能などに関連する組織問題を審議した。2週間という短期間の徹底審議の結果、専門委員会報告書ができあがり、149カ条からなる「ヘレンキームゼー草案」が生まれた。

第1条1項「国家は人間のためにあるのであって、人間が国家のためにあるのではない」(Der Staat ist um des Menschen willen da, nicht der Mensch um des Staates willen.)。同2項「人間人格の尊厳は不可侵である。公権力はすべてのその現象形態において、人間の尊厳を尊重し、かつ保護する義務を負う」。まさにカント的な格調高い哲学的文言が条文化されている。人間手段化の極致であるナチスに対するアンチテーゼが冒頭で明示されている(後の基本法では、第1条1項「人間の尊厳は不可侵である(Die Würde des Menschen ist unantastbar.)。それを尊重し、かつ保護することは、すべての国家権力の義務である」と簡潔な表現となり、「人間の尊厳」が前面に押し出されてきた。ちょうど国連で検討されていた世界人権宣言草案の“Human Dignity”が影響を与えたとされている。

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湖畔での「憲法会議」から約1週間後の9月1日、ボンで、コンラート・アデナウアーを議長とする「議会評議会」(Parlamentarischer Rat)が開催された。メンバーは、11の州(ラント)議会で選ばれた65人である。そのうち32人が法曹資格をもつ。女性も4人いた。「基本法の父」といわれるが、最近では「基本法の4人の母たち」が強調されている。ボンの連邦参議院(Bundesrat)で開催されている「ドイツ連邦共和国の歴史の家」の「わが基本法」の特別展示にその写真があった。

議会評議会には、ヘレンキームゼーの主要メンバー6人、とりわけSPDのカルロ・シュミットと「憲法会議」の議長をやったプファイファー(CSU)が参加しており、河畔で作成された草案が審議のたたき台とされた。実際、ヘレンキームゼー草案はよくできていて、完成度も高かった。制定された基本法と比べても、条文の構成、章立て、条文の内容もかなり重なっている。この草案は、「議会評議会の議員にとっては一貫して方向指示のための目印として役立ち、そのことによって、基本法の体系性や言語表現上の筆法(Duktus)を、他の先行テキストがないくらい深く刻みつけた」というほどである(Ch.Möllers, Das Grundgesetz: Geschichte und Inhalt, 2009, S.20)。湖の島でのたった2週間の会議だったが、そこで作られた草案こそが、ドイツ基本法の骨格のみならず、肉と皮までも形作ったといえるだろう。「ヘレンキームゼーの憲法会議のメンバーの選択と構成のみならず、後に議会評議会で提案されたその草案において重要な事前決定(Vorentscheidungen)がなされたことを確認することもまた、この憲法会議に特別の意義を与えた」のであり、これは基本法の「事前刻印」(Vorprägung)とされる所以である(V.Otto, Das Staatsverständnis des Parlamentarischen Rates, 1971, S.33)。

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この草案に基づいてボンで8カ月間審議され、1949年5月8日、議会評議会において基本法は可決されたのである。なお、ヘレンキームゼー草案111条は連邦政府に緊急命令権を与えていたが、ボンの議会評議会の審議のなかで、「ヴァイマルの経験」(憲法48条2項の非常措置権の濫用)を意識して、削除された。

今回、ヘレン島のなかを歩いていても、ほとんどの人が「憲法博物館」には向かわない。賑やかな中国人観光客も来ない。ほんの少しの人たちがやってくるが、会話をもれ聞いていても、建物や景色、お土産について関心があるようだ。憲法会議の議事進行表や席次などにこだわって写真を撮っている私を怪訝そうにみている。当時のメディアがこの会議をどう報道したかというコーナーにきたとき、納得の風刺画を見つけた。それが左の写真である。ルートヴィヒ2世時代の貴族の恰好をした憲法会議のメンバーが、基本法草案を読み上げているのだが、そばを通る普通の人々はまったく関心がない。生活することで必死という風情である。これは、ちょうど日本国憲法制定過程で、「憲法より飯(めし)だ」という言葉がいわれたのとよく似ている。だが、人々が自由を享受し、生活を営むことができるためにも、実は憲法は重要なのである。

来年の8月はヘレンキームゼー憲法会議の70周年である。69年前と同じこの8月22日、基本法草案を完成させたメンバーたちが通ったであろうヘレン島の緑深き道を、ゆっくり港に向けて歩いた。

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「アシアナから」:カブールの職業訓練施設の一少年

Dieses Spielzeug wurde aus der Aschiana-Schule,
Kabul geschickt.

――「アシアナから」――

2002年のカブールの職業訓練施設で一少年が作った木製玩具。
肉挽器の上から兵器を入れると鉛筆やシャベルなどに変わる。
「武具を文具へ」。
平和的転換への思いは、いつの時代も同じです。

「直言」2002年6月10日