東京大空襲から52年 1997/3/10


10万人が殺された「東京大空襲」から52年がたった。
  当日正午の大本営発表。「本 3月10日零時過より 2時40分の間B29約130機主力を以て帝都に来襲市街地を盲爆せり。右盲爆により都内各所に火災を生じたるも宮内省主馬寮は2時35分其の他は8時頃迄に鎮火せり。現在迄に判明せる戦果次の如し。撃墜15機。損害を与えたるもの約50機」。
  東京の約4割(27万戸) が消失したのに、「其の他」という感覚はすごい。市民がこれだけ死んだのは、強風や爆撃の徹底さが大きいが、法律が、老人・子ども妊婦など以外は避難・退去を認めなかったことも無視できない(防空法 8条ノ3)。「火と戦ふものは人である。そして戦ふものは人間の精神であり更に勝敗を決するのも人間の精神である」(隣組防空群指導要領・警視庁防空課)。避難が恥とされ、無茶な消火活動を強いられた結果、逃げ遅れた人々も少なくない。
  空襲の4日後、貴族院で質問に立った大河内輝耕議員は、「人貴きか物貴きか」と政府に迫り、「火は消さなくても宜いから逃げろ」と内務大臣から徹底してほしい要請した。内務大臣は、「初めから逃げてしまうということはどうかと思う」と具体的避難対策を認めなかった。「防火を放棄して逃げてくれればあれほどの死人は出なかっただろうに、長い間の防空訓練がかえってわざわいとなったのだ」。当時の警視総監は、戦後述懐している。終わってからなら何とでもいえる。市民の命より体面・面子を優先する官僚組織の体質は、今も変わっていない。詳しくは、『三省堂ぶっくれっと』122号参照。