緊急直言・ペルー日本大使公邸の大量虐殺 1997/4/26


22日午後 3時23分(日本時間23日午前 5時23分) 。軍と警察の特殊部隊が大使公邸に突入。MRTAメンバー全員を殺害して、人質を解放した。フジモリ大統領自ら陣頭指揮をとった作戦だった。「大統領の戦争」と書いた新聞もある。人質が解放されたこと自体は喜ばしい。だが、そこにはさまざまな問題がある。まず、「シュプリアーノ大司教の涙」に象徴されるように、平和的解決を完全に無にしたこと。あの交渉で問われた、刑務所の待遇改善問題や国家警察による人権侵害などの問題は、これで吹き飛んだ。ペルー「民主フォーラム」のメンバー(心理学者)は、「新たな人質としての民主主義」というコメントを、ドイツの新聞に寄せている。MRTAの報復テロもさることながら、軍の発言権が増大し、フジモリ大統領が強権的手法を駆使する可能性も高く、政権批判派への抑圧が強まるというのだ。強行突入への批判はインターネット上のメディアのサイトにも見られるようになった。80年にノーベル平和賞をとったA.P.Esquivelは、今回の強行突入を「大量虐殺」と非難したという。「皆殺しだ」と叫びながら突入した兵士。恐怖にかられ投降しようとした者までも容赦なく射殺した。そのなかに16歳の女性も。指導者セルパは武器を所持していなかったという。周到な準備と徹底した訓練をしたというなら、何人かは射殺しないで逮捕することも可能だったろう。人質のなかに軍・警察高官がいた。彼らは交渉が成立してから解放されることを何よりも恐れた。面子丸つぶれの彼らは、「はじめに強行突入ありき」だった。これに3選を狙うフジモリがのった。彼の派手なパフォーマンスは、援助国日本、軍部、そして、来るべき大統領選挙の有権者に向けられていた。テレビを通じて、全世界は、面子をつぶされた軍隊というものが、その威信回復のためにどこまで残酷になれるかを見せつけられたのである。ペルーは最悪の選択をした。