憲法施行50年行事を終えて 1997/5/5


にかく忙しかった。5月3日の憲法記念日の昼・夜の企画に関わった。幸い、どちらも一応の成功をおさめることができてホッとしている。この更新ページが出る頃、私は富山にいる。 4日の「憲法で語る未来」という集会で講演をするためだ。新着情報欄には、各紙に書いた小論のリストがあるので参照されたい。憲法研究者にとって、この季節が暇になれば終わりだが、それにしても今年は忙しかった。私が大学に入ったのは沖縄返還の年、1972年である。沖縄の25年は、私の大学生活25年と重なる。今年の憲法記念日の重要な柱は沖縄問題だった(拙稿「沖縄が問うこの国の平和」朝日新聞5月1日付夕刊)。私にとって沖縄は決して「ひとごと」ではない。私の幼年期は米軍基地とともにあった。私が生まれ育ち、いまも住んでいる東京府中市には、かつて第5空軍司令部があった(現在は横田に移駐)。幼いながらも、米軍という存在は記憶に染みついている。 4歳のとき、米兵がチューイングガムを噛んでいるのを見ていた私に、近所のがき大将は、「あれは泥だぜ」と言った。当時、あの種のガムは私たちの手に入らなかったのだ。米兵がペッと吐き捨てていったのを、あとでこっそり戻って口に入れた。甘くはなかったが、ほのかにスペアミントの香りがした。「泥じゃなかったよ」。がき大将にいうと、「この裏切り者め」と、東京競馬場の馬のプール(今は駐車場になっている)に落とされてしまった。冬場で水は入っていなかったが、けっこう深く、一人ではよじ登れなかった。あとで友達に「救出」されるまで泣き続けていたそうだ。まぶしい芝生とプール付きの米軍将校宿舎。夜、基地内の暗がりでいちゃつく黒人兵と日本人娼婦。友人の家(パン屋)のガラスを割る米兵。手を出せない日本人警官。何ともいえないもどかしさが残った。私にとって、基地とは、娼婦の化粧の臭いや、酒に酔った米兵がガラスを割る音、ガムの苦い思い出などと一体である。だから、沖縄の人々の苦悩は「体感」的に分かる。今回は、この直言コーナーも「連休」の期間ということで、こんな個人的思い出で失礼しました。