化学兵器禁止条約発効によせて 1997/5/12


年から4 月29日というのは、「みどりの日」などという訳の分からなぬ日ではなく、意味のある日になった。この日零時を期して、化学兵器禁止条約が発効したのだ。この条約には思い出がある。1993年1月。パリで条約が調印された直後、広島市で、「ヒロシマから化学兵器を考える」というシンポジウムが開かれた。私がコーディネーターを務めた。広島県・大久野島に陸軍の毒ガス工場があったが、そこで働いていて被毒した障害者の方々が参加した。原爆被爆者、常石敬一神奈川大教授、毒ガス戦に詳しい粟屋憲太郎立教大教授らも参加。化学兵器の歴史と使用の実態、さらには大久野島での製造の状況や戦争中の使用の実態が、体験者の証言を交えて浮き彫りにされた。化学兵器禁止条約の意義と限界、問題点も明らかにされた。「貧者の核兵器」といわれる化学兵器。農薬工場で製造できる簡易な殺人兵器だ。その開発・生産・取得・貯蔵・保有・移転・使用が禁止された意味は大きい。禁止の実効性を確保するため、抜き打ち査察も制度化された。「締約国は他の締約国の領域に遺棄した化学兵器を廃棄する」という条項もある。旧日本軍が中国東北部に遺棄してきた毒ガス弾(70万〜200 万発)の処理が、日本の義務となる。 4年前のシンポでは、すでにその問題が指摘されていた。また、この条約は、国内暴動鎮圧のための化学兵器使用を禁止していない。かつて、ドイツ・バイエルン州バッカースドルフの核再処理施設建設をめぐる紛争を取材したとき、住民は、州警察が使ったCSガス弾がベトナム戦争で使用された米国製であることを指摘した。戦争には使えないが、国内でデモ弾圧用ならOKというのはおかしい。目的を問わず、あらゆる毒ガス弾が禁止されるべきだろう。シンポから 4年。ようやく化学兵器禁止条約が発効した。アメリカは 4月24日、中国が25日、しぶしぶ条約を批准した。イラク、北朝鮮などがまだだが、これからは、毎年、連休初日の29日は、化学兵器禁止条約○周年という形で、世界が化学兵器の禁止状況を確認しあう日になるだろう。