沼田稲次郎先生のこと 1997/5/26


田稲次郎先生(東京都立大学元総長)が 5月16日、亡くなった。82歳だった。日本労働法学界の重鎮であり、かつ国際法律家協会会長など、数々の要職を歴任された。私にとっては、早大大学院の法哲学特殊研究でお教え頂いたときの印象が鮮烈だ。人間的魅力と学問的スケールの大きさは、まさに一時代前の大物学者の風格そのものである。すべての職業がサラリーマン化するなか、大学教員も例外ではない。法学界にも、教科書執筆に専念する者、審議会の委員になって悦に入っている俗物、学内行政に生きがいを見いだしている者など、さまざまである。沼田先生はそうした傾向とはまったく無縁。あらゆる意味で学者だった。『沼田稲次郎著作集』全10巻をはじめ、膨大な著作がある。都立大総長の激務のなか、大学院の講義に毎週足を運んで頂いた。「ワシは総長だから忙しいが、必ず来るから待っていてくれ」。午後1時からの講義は時間通りに始まったことがない。4時まで待っていると、都の公用車で到着され、そこから授業が始まることもあった。法哲学研究といっても、私のときは、「戦後改革の法思想史的意義」。憲法専攻の我々は公務員制度改革や警察制度改革などを担当し、民法専攻者は家族制度改革、経済法専攻者は財閥解体などと割り振られ、それぞれ先生の前で報告する。報告が始まって数分で不快な顔をされ、「1945年に敗戦になり、その直後の改革の意義を大きくつかめ。すぐに限界がどうのというな」という形でさえぎる。報告者は真っ青になる。次の報告者は徹夜でレジュメを書き換える。私もその一人。そして、必死に報告すると、ニコッと笑みを浮かべられて、「よし」と一言。その声を聞いたとき、ドッと疲れが出たのを記憶している。歴史的事象を大きなスケールで把握することを教えられた。先生は知識の切り売りを嫌い、相手の問題意識をとことん突いてくる。博学・博識だけでは学者ではない。23歳のときに、沼田先生のスケールの大きさと魅力に圧倒され、以後、私は沼田ファンであり続けた。本や論文をお送りすると、そのつど「よし」という一言で評価して下さった。拙著『戦争とたたかう』の久田先生が心から尊敬していたのは沼田先生だけである。沼田先生も亡くなったいま、大変さびしい気持ちになる。私もお二人から学んだことをいかすべく努力する所存である。沼田先生、本当にありがとうございました。合掌。