スウェーデンが原発全廃へ 1997/6/16


ウェーデン議会は、 6月10日夕方、歴史的決定を行った(http://www.taz.de)。原発からの最終的離脱を決定したのである。12の原子炉のうち、来年7月1日に最初の原子炉が停止される。最後は2010年に停止されることになっている。「離脱法」により原発操業を止めることを迫る法的基礎がつくり出された。従来、政府は安全上の理由からのみ、営業許可を取り消すことができた。スウェーデンでは、1970年の国民投票の結果がようやく考慮されることになった。当時、国民の多数は原発からの離脱に賛成した。その後、世論は、原発の継続の方向にわずかながら傾く。政府も、代替エネルギーを生み出す構想が十分ではなかった。不足分はエネルギー節約と、デンマークやノルウェーからの電力輸入で補填される。約100億マルクが「離脱決定」と同時に、新しいエネルギー源の発展のために投入される。原発からの完全離脱のため、年間 1基ずつ、計12年をかけるわけである。エネルギー問題の解決は単純にはいかない。だが、スウェーデンのように、原発からの離脱を、基本方向として確定した意味は大きい。日本のように、ずるずると新しい原発をつくり続ける国は、先進国では珍しい。先進国では、代替エネルギーの本格的研究や開発が進んでおり、原発からの緩やか離脱傾向が、程度の差こそあれ追求されている。東海村の動燃事故でも、もんじゅの事故でも、原発に依存する社会の不健全さが明らかになった。単に放射能が健康に被害を及ぼす危険があるというだけではない。原子力は究極の管理社会・警察国家を要求する(I・イリイチ)。本当のことを教えるとパニックになるという理由で、常に嘘と事実隠しが常態となる。こうした秘密主義もまた、社会にマイナス影響を与えている。日本もまた、スウェーデンを見習って、原発からの離脱を考える時期である。少なくとも、新設だけはやめるべきだろう。新潟県巻町の住民投票の余波もあって、地方も「ノー」を言いだした意味は大きい。基本的人権は、「現在の国民」だけでなく、「将来の国民」にも保障される(日本国憲法11条、97条)。私たちの孫たちに、汚染された空気と大地を残してはならない。