ドイツ議会の臓器移植法案 1997/6/23


イツ連邦議会は、6月18日、臓器移植法案を採決した。論争点は二つある。一つは、臓器提供者自身の同意を要件とするか、それとも近親者の同意で足りるかという問題である。もう一つは、立法者が脳死を人の死とすることが許されるか、またそうすべきかという問題である。採決の結果は曖昧だった。なぜなら、この法案に関する論争は、政党・会派の内部でも行われており、議論が錯綜していたからである。採決にあたっては、党議拘束が解除されたという。6月20日、ボンで、全政党の代表が記者会見し、超党派的法案についての声明を発表した。そこでは、脳死を人の死の基準とすることが否定されていた。脳死者も子供を産むことができる。その肉体は細胞を新たな形成する能力もある。脳死者は死体とは別のものである、と。同盟90・緑の党の議員はいう。脳死は社会の価値観と適合しない。脳死は死のプロセスの不可逆的な部分であって、生命の究極的終わりではない、と。一方、社会民主党のある議員は、脳死を臓器移植の基準とすることに「議論の余地はない」とする。法案支持者は、「死は生命の短縮である。これに対して、脳死では、臓器移植という目的のために『死の過程の延長』が行われる」という。脳死を人の死とするという合意はできていない。臓器提供者本人の意思を重視するという点では、すべての政党が一致した。現在、ドイツの臓器移植の95パーセントは、近親者の同意で行われている。ところで、日本でも、臓器移植法が成立した。だが、衆議院で可決された法案が脳死を人の死として一本化していたのに対して、参議院で可決された修正案は、本人及び近親者の同意を条件としている。修正案では、二種類の死が存在することになった。だが、衆院側が修正案に同意したため、法案は成立した。だが、修正案は、衆院が可決した法案を内容的に否定したものだ。憲法59条に基づき、衆院の優越を貫徹することも可能だったにもかかわらず、参院の修正に同意したのは、衆院側も自信がなかったからに違いない。人の死を法律で決めていいのかという大問題について、議論がまったく不足している。そもそも、自己保存しか考えていない国会議員たちに、「人の死」なんて大問題をまかせていいのか。
( 注:その後、6月25日、631人中422人の賛成で、臓器移植法案が可決された。脳死を人の死とし、臓器移植には、近親者の同意で足りるとした。日本の臓器移植法案よりもはっきりした選択をしたわけだ。(6月30日追加))