緊急直言




地方自治のための「清き一票」 1997/12/19


護市を東西に貫く国道三二九号線。七月初旬と先月の二回、ここを通って辺野古の海岸に立った。東シナ海に面した市街地とは異なる太平洋側の辺野古の風景。キャンプ・シュワブの有刺鉄線が、美しい海岸線を無粋に切り裂く。その向こうに、海上ヘリ基地の予定地が広がる。予想以上の大きさに驚く。巨大宇宙船がニューヨークの空を真っ黒に覆う、米映画「インデペンデンス・デイ」をふと思い出した。
ま、名護市民は、その海上ヘリ基地をめぐる「決断」を目前にしている。「名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票」。このタイトルそのものが、この国の地方自治の歴史の上で画期的な意味を持つ。国の「専権事項」とされてきた安全保障政策に関わる事項を、一地方自治体が、しかも住民投票という方法で問う。昨年の沖縄県民投票も、特定の基地の存廃を問題にしたものではなかった。今回は、特定の基地建設の「是非」が直接に問われる。東京の中央政府が、一地方の住民投票にこれほどまでに強い関心を示し、かつ行動に出るということも、かつてなかったことである。この住民投票の憲法的意味について考えてみよう。
法は代表民主制を基本としつつ、これを補完するものとして直接民主制の仕組みを採用している。地方の場合は、条例制定や長・議員の解職など、住民の直接請求制度が地方自治法により設けられている。ただ、地方自治特別法の住民投票(憲法95条)の場合は別として、法律は、住民が特定の政策上の争点について直接意思を表明する住民投票制度を定めてはいない。そこで住民投票付託条例を制定して、この仕組みを採用する自治体が増えてきた。名護市も同様である。
方自治は、自治団体が必要かつ十分な権限をもち、それを自主的に行使するという「団体自治」と、住民が自らの意思に基き、その運用に参加するという「住民自治」とを軸とする。それはまた、住民と時代のニーズに対応した様々な制度的工夫や可能性に対しても開かれている(憲法九二条「地方自治の本旨」)。住民投票も、その一つといえる。
方議会が存在する以上、その権限を侵すような住民投票は許されないが、自治体をめぐる重大な争点について、住民の意思を「見えるようにする」ことは意味がある。それは、議会や長が住民の意思を「参考にできる」という代表民主制の補完機能だけでない。住民自身が投票行動を通じて自治意識を高めるという学習機能もある。さらに、議会や長が住民の意思から乖離した施策を推進しようとした場合、それをチェックする「切り札」的機能もある。より根本的には、住民が「自分の運命を自分で決める」という地方自治の思想の根幹に関わってくる。だからこそ、目先の利害や一時の感情によらず、理性的な判断を行うために、情報の公開が決定的に重要となるのである。
回の住民投票は、「子々孫々の生活と豊かさそのものを決める政策を選ぶ」といわれる。そのわりには、基地建設に伴う影響などの重要な情報が十分に提示されているようには見えない。「万行の好機」という形で、住民の関心は各種の「振興策」の方に向けられてはいまいか。問われているのは、「子々孫々」にまで及ぶ「豊かさ」の中身である。住民がどういう「生き方」を選択するのかが問われているのである。ジャンケンで「グーとパー」しか出せなくなったこの国の政治・経済の行き詰まりに対して、「チョキ」という選択肢を示すことができるか。一過性の「海上ヘリ基地バブル」に終わることのないように、長期的視野にたった理性的判断が求められるゆえんでる。
護市民の「一票」が、名護の将来だけでなく、日本の地方自治のありようにも爽やかな刺激を与える「清き一票」となることを期待したい。

(本稿は、12月19日付、沖縄タイムスに掲載されたものです)

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