東京モト暗し・マッカーサーの部屋 1998/3/30


一生命本社ビル(千代田区有楽町1-3-1)。日比谷通りに面した白亜の建物。皇居を見下ろす 6階に「マッカーサー元帥の執務室」がある。先月、取材のついでに足をのばしてみた。JR有楽町駅(日比谷側出口)から徒歩 5分。正面玄関を入り、左手奥エレベーター横に受付がある。入館章をもらい(無料)、6 階に上がる。その部屋は16坪(54平方メートル) ほどで、さほど広くない。壁はアメリカ産の胡桃の木で、英国人画家が描いたヨットの絵がかかっている。マッカーサーはヨット好きだったそうだ。床は寄木細工。机と椅子は第一生命第三代社長石坂泰三氏のもの。机には引出しがない。書類などをしまう必要のない、即断即決のマッカーサー愛用の机である。椅子の方はかなりすり切れている。彼がこの部屋で執務したのは、1945年 9月から51年 4月まで。この間、日本国憲法の制定をはじめ、日本の戦後史の展開を彼はすべてここから見ていた。直線距離でいうと、皇居宮殿までわずか900 メートル、国会まで1300メートル、首相官邸までは1500メートルだ。この部屋の主の圧倒的重量感は並みではなかった。同じ建物には、日本国憲法の制定の準備を進める民政局スタッフもいた。この建物は、戦後憲法史の重要な「証人」といえるだろう。部屋の入口近くに、マッカーサーが好んだ「青春」という詩碑がある。「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」で始まるサミュエル・ウルマンの詩。彼は日々これを愛誦していたという。「年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ」「人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる」。憲法施行から半世紀を経て、憲法改正を求める声高な主張がメジャー紙にも登場するようになった。古くなり、老いたのは憲法ではない。この憲法の理念に基づいて、複雑な現実に立ち向かう気概と情熱を失った「現実主義者」たちの方である。そういえば、彼が総司令官の職を辞するときのセリフは、「老兵はただ去りゆくのみ」だった。4 月11日から4 月30日まで、紀伊国屋サザンシアターで、ジェームス三木作・演出で「真珠の首飾り」(青年劇場)が上演される。「わずか一週間で草案を作成したGHQ民政局員たちがいた。ジャズの名曲にのせて描く日本国憲法誕生の舞台裏」。第一生命ビルを見学してから、この劇を鑑賞したら、憲法制定過程について深く考えるきっかけになると思う。問い合わせ・申込みは、青年劇場(03-3352-6922)へ。