憲法施行51周年に寄せて 1998/5/3


年も憲法記念日を前に、講演依頼、取材・インタビューがたくさん来た。お断りせざるを得なかったものについては、この場を借りてお詫びしておきたい。「周辺事態措置法案」については、『朝日新聞』「論壇」に書いたので参照されたい。

  自民党の安保調査会副会長の石破茂氏と、『中国新聞』で紙上対談した。石破氏とは国会内でお会いした。率直な方で、情勢認識も法案評価もことごとく対立したが、根本的な議論が必要という点では意見が一致した。石破氏は、ガイドラインや周辺事態法案が票にならないことをしきりに嘆いていた。国会議員がこの法案をよく読んでいない、とも。「政治改革」で小選挙区制を導入した結果ではないか、と私がいうと、石破氏はその点について否定しなかった。

  対談の数日後、弁護士団体主催の集会で講演した。そこで私は、1947年3月に憲法普及会兵庫県支部が発行した『新憲法之解説』の金森徳次郎の一文を紹介した。「憲法は成程これは法文でありますから活字で印刷してあり、インキをもって紙の上に記述されているものでありますけれども、頭を変えて本体を見よ。これは国民の熱情をもって記されてあるものであり、国民の心の上に刻み込まれてあるものでありまして、この憲法に対して客観的の批評をするのが国民の任務ではありません。国民がこれによって、実行によって憲法を肉付けるというところに国民諸君の義務がある」(25 〜26頁、現代文にした) 。パネラーの発言にも聴衆の質問にも、「憲法を肉付ける」という言葉が何度か使われた。

  憲法ができて51年が経過しようとも、要はそれを現実に活かす国民の姿勢が大切だということだ。「日本国憲法には、プライバシー権や環境権がないから改正すべきだ」という意見がある。でも、これらの権利は、憲法に明文の規定がなくても、判例の蓄積のなかで、憲法上の権利として定着しつつある。背後には、学説の発展もあるし、長期にわたる、さまざまな人権裁判運動の成果という側面もある。プライバシー権がないから憲法改正をという人のなかには、そうした裁判運動に冷淡な人々も少なくない。憲法改正をいう前に、どれだけ「憲法を肉付ける」努力をしたのか。現実に合わせて憲法を変えよという「現実主義者」は、結局、憲法を条文でしか見ていない「条文フェチ」ということになる。憲法9条に基づいて、軍事の現実をゆっくりと変革していく「高次の現実主義」(ハイアー・リアリズム)こそ求められているのである(深瀬忠一他編『恒久世界平和のために』勁草書房、1998年)。

  東京での憲法講演会の裏方を2年間やったので、今年の5月3日は久しぶりに外に出る。今年は山梨県甲府市の憲法集会。日程が重なったためにお断りした熊本、宮城、神奈川、京都の皆さんにお詫びしたい。

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