阪神・淡路大震災と憲法 1998/5/15


週から今週にかけて、憲法の学会のため神戸に滞在した。この 1年ほど神戸に行っていなかったので、久しぶりに市内各地をまわった。学会前日にタクシーをチャーターした。運転手さんは長田区の住民だった。深夜勤務の直後だったため、タンスの下敷きにならずにすんだという。家は半壊。修繕に800 万円かかったそうだ。1年前に比べて、神戸の中心部はさらに整備が進んだ。観光バスも増えている。だが長田区に入ると、まだまだ更地やプレハブが目立つ。運転手さんの言葉も重くなる。ポートアイランドなどの仮設住宅には空き家も見られたが、他方、入居者のいない真新しい公営住宅もあった。復興の速度や程度には、地域や場所により明らかな偏差が見られる。『神戸新聞』の「仮設住宅被災者アンケート」を見ると、被災者が抱える問題の深刻さがよくわかる。大震災後、とりわけ低所得層が生活を立ち上げることは極めて困難だった。だが政府は「個人補償はしない」という論理を貫いた。
   先週の甲南大学での学会では、神戸大の浦部法穂教授が「阪神・淡路大震災と憲法論の課題」という報告を行った。そこでも紹介されたが、アメリカのロス大地震の際には、FEMA(連邦緊急事態管理庁)が公共施設復旧とほぼ同額(14億ドル強)の「公的資金」を個人の生活支援に支出していた。バブルに踊った金融機関(私企業)の尻拭いには莫大な「公的資金」を支出するこの国とは大きな違いだ。浦部氏は、「根こそぎ生活基盤を奪われた個人の生活を支援することは公共性をもつ」と指摘した。おりしも、作家の小田実氏らが中心となって提案した「市民法案」をもとに、参議院に超党派の議員による「災害被災者等支援法案」が提出され、可決された。「被災者生活再建支援法」として衆議院でも 5月15日に可決・成立した。当初、全壊世帯に 500万円、半壊所帯には 250万円が支給されるという内容だったが、結局、所得制限(年収500万円以下)を付けて最高100万円という低額に抑えられた。しかも、阪神・淡路大震災には適用がない。あまりにも不十分で貧困な内容だ。しかし、この国の立法の歴史のなかに位置づけてみると、「市民立法」(五十嵐敬喜氏)とも呼びうる新しいタイプの立法の萌芽をそこに見てとることができる。今後、支給額の増額や阪神・淡路大震災への適用などを求めていく足掛かりになることは確かだろう。その際、憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」についても、21世紀を前にして、新しい読みなおしが求められているように思う。

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