携帯電話症候群 1998/10/12


昔前、公衆電話や赤電話は10円玉しか使えなかった。遠方の家族や恋人に電話をするとき、10円玉を山と積み、ストンストンと硬貨投入口に入れながら話をする。最後の一つを入れ、ブーという料金切れを伝える音が虚しく響いて、通話はおしまい。10円玉が落ちる音は、1秒でも長く話したいという恋人たちの鼓動を伝える。今となっては、何とも風情のある光景だった。いつ頃か忘れたが、100円玉が使えるようになった。これで会話は長くなった。さらに、中曾根内閣による分割民営化路線により、85年に日本電信電話公社がNTTとなり、テレフォンカードが登場した。これによって、電話についての金銭感覚が薄れた。そして携帯電話の登場。若者たちは本当に野放図に電話を使い、電話料金に対する感覚が麻痺した。
   わが家では、携帯電話を「持たず、使わず、持ち込ませず」の原則を長らく守ってきた。講義や講演の最中の、あの嫌な音。やる気が失せる。暗い道路を歩いていて、突然暗がりから「どうも!」という声がしてドキッと振り向くと、男が携帯で話をしている。満員電車のなかであの嫌な音。30男が携帯を取り出し、「今日のごはん何?またレトルトかよ。駅前のラーメン屋にしようや。改札のとこでな。じゃ」。てめえら夫婦の貧困な食生活のことなんぞ聞きたくもない。バスのなかで。「いまどこ。○○の講義に出るの。休んで俺のとこ来いよ。だめ?じゃね」。よしよし。電話の向こうの女子学生はこのバカ携帯男の口車にのらず、私の講義に出るようだ。ある家での話。高校生の娘は、携帯電話のとりこ。深夜もかけ続ける。Pメールと称する1回10円をバンバン打ち続ける。通話通知書の束が届いて、その親は愕然とした。一日に100件前後かけている。料金は月5万円近い。ついにキレた母親は、ラッダイド運動(19世紀イギリスの機械打ち壊し)よろしく、携帯を壊してしまった。150人分の番号データは消滅。そのあとは修羅場。使用ルールが確立された上で、新しい携帯が買われ、その家庭に平和が戻るまで、かなりの時間を要したという…。
   携帯電話は麻薬のような働きをする。とくに思春期の子には。かかってこないと不安になる。だから、ひっきりなしにかける。コミュニケーションの手段のはずなのに、それ自体が目的と化す。かけたり、かけられたりする行為それ自体が意味をもってくる。携帯の使用が、毎日の関係継続の確認手段となる。そうした「祭」のあとには、莫大な金額の請求書が届くことになる。あるテレビ番組によると、女子高校生が売春をやる理由として、「携帯電話料金のため」というのが結構あったという。携帯電話は今や社会問題化しつつある。携帯電話症候群と言ってもよい。この便利なツールがもたらす社会的影響は大きく、また深い。ちなみに、私が今、携帯電話を持っているかって?「言えやしない。そんなこと言えやしないよ」(TVアニメ「ちびまる子ちゃん」の野口さんの声で)。