自衛隊ホンジュラス派遣の意図 1998/12/7


月末、専修大学で「人間の安全保障を考えるセミナー」が開かれた。講演者は中米ドミニカから帰国したばかりの栗原達男さん(フォトジャーナリスト)、アジア研究センター助手の江正殷さん、それに私。栗原さんの話は興味深かった。日本政府の甘い見通しのもとドミニカに送り込まれ、借金を背負い、劣悪な環境のなかで農業に従事していた日系人。彼らをハリケーンが直撃したが、政府の対応は冷たかった。あるドミニカ日系人は「天災で泣くのは貧乏人ばかり。私たちは棄民だったんですね」と語ったという。一方、同じハリケーン被害を受けたホンジュラスには、自衛隊が派遣された。国際緊急援助隊法に基づく陸自「ホンジュラス国際緊急医療援助隊」と、空自「ホンジュラス国際緊急援助空輸隊」。前者は名古屋の第10師団を主力に、隊本部・付隊(医官1 を含む26人)、治療隊(医官6 を含む23人)、防疫隊(15人)という編成で、指揮官は第10後方支援連隊長(1 佐)。後者は、空自支援集団の105 人と第1 輸送航空隊のC130H 輸送機6 機。派遣期間は2 週間で、11月30日に活動を終了した。『朝雲』紙12月3 日には、「2 週間で4031人診療」「街路など3 万平方メートルを消毒」といった見出しがおどる。新聞各紙ともに医療・防疫という「まともな目的」に目を奪われ、『朝日』11月10日付2 面「海外派遣の『総仕上げ』」という記事を除き、この派遣の狙いをきちんと指摘したものはなかった。92年に自衛隊海外出動の3 つのルートが作られた。PKO協力法によるPKO派遣と「人道的な国際救援活動」。前者ではカンボジアからゴラン高原まで、後者ではルワンダ難民支援という「実績」が作られた。3 つ目は、PKO法制定のどさくさ紛れに改正された国際緊急援助隊法。消防レスキューや医療チームが地道な活動を行っていた分野に突然、自衛隊が乗り込んできた。災害派遣の海外版というふれこみだ。実は今回、この3 つ目の法的ルートを使い切り、自衛隊海外出動の3 パターンを完成させることに主眼があったと私は見ている。ホンジュラス政府の「自衛隊派遣の要請」というのは怪しい。カンボジア派遣のとき、柿沢外務政務次官のやらせ要請の「前科」もある。この6 年間、世界のあちこちで大災害があったのに、自衛隊の出番はなかった。派遣先はどこでもよかったのだ。周辺事態措置法案審議入りを前にして、手持ちの法的ルートを使い切っておくこと。しかも、アフリカから太平洋の東端まで、ちょうど米第7 艦隊の担任領域(東経17度から西経160 度)の両端に、空自輸送機を進出させる実動演習ができたわけだ。テキサス州ケリー基地にも後方支援隊が進出して、ホンジュラス派遣を支援した。残るは、米軍戦闘部隊に対する直接的な支援活動だけである。だから、下痢に苦しみながら治療・防疫にあたった隊員たちの労苦だけを取り出して、「結構なことです」と評価するわけにはいかないのだ。コスト面でも、従来の医療チームを派遣した場合よりも何倍もかかっている。医療隊よりも本部管理部隊の方が人数が多い。これが軍隊だ。たとえば、クルド難民支援のため、ドイツも軍用機を使ったが、費用は物資1kg あたり16マルク。これを民間機でやると1kg あたり1.73マルクですむという。軍用機の方が9 倍の費用がかかる計算だ。国際的な医療活動や保健・衛生活動などへの資金援助を増やした方が有効だ。いっそ自衛隊を解散して、国際災害救助隊に転換した方が、これからの地球規模の災害などに対処でき、世界中で喜ばれるだろう。