緊急直言




「広島に原爆を落とす日」とミサイル攻撃 1998/ 8/31


8月第 3週は広島に滞在した。県の高校社会科教員研究総会で講演したあと、つかこうへい「広島に原爆を落とす日」をめぐるシンポジウムのパネラーをやった。ヒロシマの新しい可能性を探るスリリングな企画は大成功だった。内容についてはいずれ詳しく触れる(要旨が 8月28日付『中国新聞』に1頁掲載)。つか氏らとの打合せも終わり、ホテルでテレビをつけて驚いた。米軍が21日未明(日本時間)にスーダンとアフガニスタンに巡航ミサイル攻撃を行ったというのだ。「不適切な関係」で詫びたばかりの男が、「世界の警視総監」よろしくテレビでこうのたまわった。「テロリストに安全地帯はない。米国人と国益を守るために闘い続け、必ず勝利する」。国際的にもテロ対策の必要性が十分認識され、各国の協力も進んでいる。だが、アメリカは結局、国連や「同盟国」に通告することもなく、傲慢で身勝手な単独行動に出た。事前通告されなかった日本が一番哀れだ。米政府は、「無視したのではなく、必ず支持してくれるから伝えなかった」という。だが、いつもアメリカを支持するイギリスやドイツには事前に通告している。しかも、作戦には横須賀基地を母港とするミサイル・フリゲート艦も参加していた。実質上、「事前協議」を行うべき「日本を基地とする戦闘作戦行動」の事態だった。ところで、米国連大使は安保理に書簡を送り、「攻撃は国連憲章で認められた自衛権の発動」と強弁した。かりにテロリスト施設があったとしても、当事国の了解なしにそれに攻撃する権利は、いかなる国家にも与えられていない。国際法上、一見極めて明白な主権侵害といえる。憲章51条は、当該国に対する武力攻撃が現実に行われ、かつ安保理が適切な行動をとるまでの間という時間を区切って、自衛権の行使を認めている。在外公館や在外邦人保護を目的とした自衛権行使も国際法上は消極に解されている。いわんや、テログループの施設があるというだけで、他国にミサイル攻撃を加えるなど許されるはずもない。そこに自衛権を持ち出すことに恥ずかしさを覚えないとすれば、その人の法感覚は完全に麻痺している。それとも、「朕は国家なり」ならぬ「アメリカこそ国際法なり」とでもいうつもりだろうか。ドイツの新聞は翌日、「テロ戦争に対する戦争テロ」という見出しを打った(die taz vom 22.8) 。まさに暴力の悪循環が生まれつつある。さらに恐ろしいのは核使用である。英米安全保障情報センター(BASIC) によれば、米政府には96年2 月段階で、テロリストのような「非国家的活動」に対して核攻撃を行う軍事ドクトリンがすでに存在するという(germany-live vom 25.8.1998)。テログループが核兵器や生物・化学兵器を入手し、それを通常兵器で排除することができないとき、テログループに対する核攻撃が想定されている。その決定は大統領が行う。さて、7 月に国際刑事裁判所の設置が決まり、戦争犯罪や人道に対する犯罪を犯した個人を裁く仕組みが生まれる。ケニアなどでの爆弾テロについても、テロの背景を探りながら、国際社会が一致して「国際的デュープロセス」を貫くなかで対処していくことが求められている。核攻撃まで想定したアメリカの身勝手に対する批判が必要である。それは決して「テロリスト」の擁護を意味しない。