小沢一郎氏のヤクザ憲法論 1999/2/1


じゃないよ、心だよ」と言っても、「心」のありようは顔に出る。竹村健一、渡邉恒雄、小沢一郎の3氏。彼らに共通するのは、人を見下した傲慢さである。とくに小沢氏。この顔がテレビや新聞に大きく出るようになったら、いい時代ではない。90年頃から3年おきに浮沈を繰り返し、このところしばらく低空飛行だったが、自自連立で時の人となった。

  私は1月8日夜、PKF凍結解除問題について、ニュースステーションでコメントしたが、菅沼栄一郎氏(朝日新聞政治部)はこう続けた。「小沢さんが五年前に言っていたことが、派閥間の論理で先送りされてきた。あの人が蘇って、この議論がきちんとぶり返してきたわけです。右行くのか、左行くのか、今年はきっちり白黒決着をつけましょう」。残念ながら、全然フォローにならなかった。菅沼氏は小沢氏の新年会に出席し、「ついに小沢さんの時代がやってきたじゃないですか」と言っていたそうだから(『週刊現代』99年1月30日号)、彼の主張の底は知れている。

  3年前、96年6月7日付『朝日新聞』に、「多国籍軍参加は憲法の精神」という小沢氏のインタビューが載った。破格の扱いは、当時、朝日嫌いの小沢氏に、朝日政治部が接近しようとした「よいしょ」記事と言われたものだ。そのインタビューで小沢氏は、日本の武力行使の可能性について2つ述べていた。一つは憲章106条を根拠に、「多国籍軍的形態であっても、国際社会の秩序維持行為と見なされると解釈すれば、湾岸戦争や朝鮮動乱のような場合でも日本は参加できる」。もう一つは、憲章51条を根拠に、「各国が個別的、集団的自衛権を行使して平和を維持しようとすることは当然できる」。この二つの場合では、「(後方支援に限られるという)そんなケチな話じゃないんだよ」ということになる。「政府解釈なんて内閣が代われば変わる」「私は国際社会でいいという行動は、宇宙の果てまでともにする。……武力行使をしなくていいというなら、そのほうが楽だ。だけど要請がある限りは、地獄までも行く。ただ、後方だろうが前線だろうが、国際世論の認めたものでなければ参加してはいけない」。
   言いたいことは確かに明快だが、私はこれを「ヤクザ憲法論」と呼ぶ。憲章106条は旧敵国条項(107条)とセットで読むべきであり、日本などの旧敵国の国連加盟によってこの条文の役割は実質的に終わっている。これを持ち出すアナクロニズムはすごい。それに、正規国連軍の場合であっても、日本がこれに参加することには憲法上疑義がある。「国際社会」がいいと言えば「地獄までも行く」という発想も乱暴だ。憲法9条の存在を無視した彼の「国際協調主義」は、まさしく「国際強調主義」で、しかもその「国際社会」がアメリカ一国を意味することがあるのは容易に推測がつく。国連安保理決議を拡張解釈して武力行使に踏み切るのは、今やアメリカの常套手口だ。日本が、「地獄までも行く」という人物にひきづられて武力行使への道に踏み込もうとしているいま、「小沢さんの時代がやってきた」などと言っていないで、厳しく監視するのがマスコミの仕事ではないか。

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