そして政府委員がいなくなった 1999/2/15


本の矢』(早川書房)という本がある。キャリア官僚が筆名で書いた「政経推理小説」で、現実の金融危機とダブらせて読んでいくと、そのリアリティはなかなかのもの。去年の暮れ、年賀状を後回しにして、上下2巻を一晩で読んでしまった。はやりの「複雑系理論」もテンコ盛り。大蔵官僚内部の事情や確執も面白い。だが、所詮エリート官僚の思考の枠内での話。後味がいい本ではない。もっとも、衆院予算委での大蔵大臣「失言」によって、金融パニックが全国に波及していく冒頭の描写は見事だ。テレビの国会中継からしか知りえなかった予算委員会の様子が、官僚席から見えてくる。例えば、大蔵省銀行局課長補佐の眼から見るとこうなる。
  「国会質疑といっても、手元に持った答弁集が、大臣や政府委員によって一字一句違わず朗読されていくだけのことである。こんな出来合いの芝居をするくらいなら、答弁集を丸ごと質問者に渡せばよいだけじゃないか。大蔵省に入省したての頃はよくそう思ったものである。しかし今では、芝居こそが政治の一つの大きな要素であり、中身がないこと自体も政治の中身であると割り切っていた。ただ、いくらそう頭のなかで割り切っても、眠気だけはいかんともしがたい」。

  先月26日の衆院予算委の中継を見ていて、印象に残るシーンがあった。アメリカの対イラク空爆が安保理でいつ決まったのかと執拗に追及する志位議員(共産)に対して、外務大臣が、「そんな質問通告にないもの、いつかなんて分かるわけありませんよ」と、両手を大きく広げて取り乱した。その瞬間、ズボンのポケットに書類を突っ込んだ課長補佐級の人物が脱兎の如く飛び出し、大臣席にある紙を一枚すばやく抜き取り、早足で答弁席に向かう政府委員(総合外交政策局長)にサッと手渡したのだ。リレーのような鮮やかさだった。局長は早口で、その紙を読み上げた。その間、その課長補佐は大臣の前に膝をおって、懸命に説明している。『三本の矢』の冒頭を思い出し、思わず笑ってしまった。

  ところで、自・自連立の合意項目のなかには、政府委員制度を2000年の通常国会から廃止することが含まれている。政府主導の政策立案を進めるためといい、企画を受け持つ「副大臣」や閣僚を補佐する「政務官」を各省庁に複数置くそうだ。『週刊ポスト』2月19日号の「覆面官僚座談会」によると、各省庁には『専決事項』という分厚い文書があって、そこには大臣決裁を経ないで、次官以下の官僚で決められる事項が列挙されているという。官僚たちは、政府委員が廃止され、無能な政治家が100人規模で霞が関に乗り込んでくるのがうざったくてたまらない。政治家に決裁権が与えられると、官僚の「専決事項」が侵されると危惧しているわけだ。政府委員廃止は誰にとってプラスか。無能な人は大臣になれないという意味で、中堅・若手の大臣登用率が上がるだろう。小沢氏が自民党内部に楔を打ち込む戦術と言える。結局、政府委員が廃止されれば、官僚の答弁集がより詳しくなり、弁だけはたつという大臣が多く出てくるだけだろう。いずれにせよ、この国の政治の進歩はない。