丸山眞男と「執拗低音」 1999/3/8


近感銘した本に中野雄『丸山眞男音楽の対話』(文春新書)がある。中野氏は東大丸山ゼミ出身で、オーディオメーカー・ケンウッド会長。戦後日本の知性をリードした丸山思想史学のベースに、趣味の域をはるかに越えた「音楽学」があった。丸山によれば、演奏とは、音符を機械的に音に置き換えるだけの作業ではない。作品の本質を理解し、演奏家が自らの言葉で聴き手に語りかける行為であり、いわば「追創造」である。この観点から、演奏家や個々の演奏への評価は実に厳しい。家には最新の音響機器群や数万枚のレコード、そして膨大なスコア(総譜)があったという。スコアには無数の書き込みがあり、作品分析も徹底していた。作曲家や演奏家の好みも実に明確。とくにドイツの大指揮者W・フルトヴェングラーへの思い入れは凄まじいばかりだ。丸山のオーラにかかっては、「帝王」カラヤンの軽さがよけい際立つ。私の父もフルトヴェングラーのファンだった。中学時代、父のいない時、レコード室から『フルトヴェングラーの遺産』(グラモフォン)という紫色の分厚いケースを持ち出しては聴き入ったものだ。とくにシューベルトの交響曲9 番(ハ長調)とシューマンの4 番の演奏が好きだった。丸山の場合は、同じフルトヴェングラーの演奏でも評価が微妙に異なる。彼は、爆撃のなかで行われた戦時中の録音を好み、戦後の録音は「茹ですぎたうどん」と手厳しい。中野氏が、「でも、あんな悲劇的な状況と、悲惨な経験を抜きに最高の演奏が生まれないとしたら、〈音楽〉とはいったい何でしょう」と問うと、丸山は一瞬の沈黙の後、「人間の本質にかかわるテーマですね」と答えたという。丸山はバッハの「シャコンヌ」(無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2 番ニ短調終曲)をこよなく愛し、「偲ぶ会」でも演奏された。この曲に丸山が注目したのは、繰り返される低音主題の上声部で様々な変奏が展開される「執拗低音」(パッソ・オスティナート)の採用。一曲で実に32回の変奏が出現するが、低音主題を支配する和音の骨格は不変だ。丸山はこの手法を思想史に応用した。この国の歴史のなかから、完結的イデオロギーとして「日本的なもの」をとり出そうとすると必ず失敗する。しかし、外来思想の「修正」のパターンを見たらどうか。その変容のパターンには驚くほどのある共通した特徴が見られる。丸山は、日本という島国に、底流として脈々と流れる思考様式を発見し、戦後の知的リーダーとなった。いま、この国が大きく変わろうとしているとき、その底流にあるものを深くつかみ、21世紀に向けたこの国の課題と方向を示すことは、後進の仕事だろう。表面的な事象に惑わされずに、時代の「執拗低音」をしっかり聞き取る能力が問われている。なお、「私が好きな曲」のトップにフォーレのレクイエムが挙げられ、死んだらこれをかけてほしいと丸山が書き残していたことを知り、驚いた。私の父も、高田三郎「心の四季」の次に、この曲を霊前に流せと指定していたからだ。私も、死んだときはこの曲を流してほしいと家族に言ってある。丸山は演奏者を書き残していないが、私が指定した演奏は、アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団のものである。