連邦議会、ベルリンへ 1999/4/27 ※本稿はドイツからの直言です。


4月 9日夜の第二放送(ZDF) ドキュメンタリー番組は、Zurück in die Zukunft--Rückkehr in den Reichstag. 映画のタイトル風に言えば、「バック・トゥ・ザ・フューチャー:帝国(ライヒ)議会への帰還」。50年間ボンにあったドイツ連邦議会が、初めてベルリンの旧帝国議会で本会議を開くのだが、それを10日後に控えて、この建物の歴史を探る番組だ。建築家や議会関係者のほか、100 歳近い元議員なども登場。1918年11月9 日に、この建物でヴァイマール共和国設立を宣言したシャイデマン首相(社会民主党)の肉声も披露された。1933年のナチスによる議会放火事件や、45年5 月のソ連軍との戦闘の映像などをはさんで、この建物の歴史が浮き彫りになる。興味深かったのは、ベルリン攻防戦で、帝国議会に突入したソ連軍兵士が内壁に残したいたずら書きだ。日本の国会議事堂の上層部にも、米兵のいたずら書きが残っている。議会の建物に旧占領軍のいたずら書きを保存している点も、日独の隠れた共通点ということになろうか。重厚な外観と比べると、内部はすこぶるモダン。とくにガラスが多用されている。会議の様子がガラスごしにのぞけるのも、民主主義の透明度を重視するコンセプトというわけだ。上部の半球ドームは戦争で破壊されたが、半世紀ぶりに復活。より透明感にこだわった作りになっている。番組は、ドームのライトが夜空を照射し、シュプレー川に美しいシルエットを描くところで終わる。この建物は資料館として、長らくベルリン観光の目玉の一つだった。1991年6 月20日午後21時48分。連邦議会は11時間に及ぶ討論の末、18票差で、首都ベルリンを決定した。ベルリンで在外研究中だった私は、その一部始終をテレビ中継で見ていたが、採決直後、ベルリン子たちが、クラクションを鳴らしながら通りを走り抜けて行ったのを覚えている。首都決定後、旧帝国議会の全面改装が決まる。改装直前の95年6 〜7 月の1 週間、芸術家クリストは、建物全体を銀色の特殊な繊維で包むという一大パフォーマンスを敢行。世界的に有名になった。この時もたまたまベルリンに滞在していた私は、イベント最終日、繊維の断片を配布する現場に遭遇した。銀色の2 センチ四方のものだが、歴史的一回性の貴重資料として、今も研究室に保存してある。なお、ティールゼ連邦議会議長は、Reichstag(帝国議会) という呼び名に異を唱えた。結局、「帝国議会建物の本会議場」(Plenarbereich Reichstagsgebaeude)と改名するようだが、まだ争いがある。ところで、Reich には「帝国」のほか、「国」という意味もある。ドイツ初の民主憲法といわれるヴァイマール憲法もWeimarer Reichsverfassung というが、誰も「ヴァイマール帝国憲法」とは訳さない。4 月19日は、第一放送(ARD) が午前11時から午後3 時過ぎまで本会議を中継した。「ボン共和国」から「ベルリン共和国」へ。だが、すべての会派の演説者は、ボンで始まった連邦共和国の継続性を強調した。議長は「ベルリン共和国」という呼び名を拒否した。また、全員がコソボ空爆に言及。首相は戦争への参加を、「新しいドイツ的責任」と、「人権のヨーロッパ」という「価値共同体」への帰依によって正当化した。これには、保守野党も拍手を送っていた。5 月23日、ここで開かれる連邦会議(連邦議会と連邦参議院の合同会議)で新連邦大統領が選出される。