哲学者ハーバーマスとコソボ戦争 1999/5/24 ※本稿はドイツからの直言です。


争開始から2カ月。「人道的戦争」は、市民生活にも影響を与え始めた。
   その一例。ルフトハンザ・ドイツ航空経営評議会によると、フランクフルト空港が「かつてない混乱」のなかにある。軍用機(とくに空中給油機)の離発着により、民間機に「劇的な遅れ」が生じているのだ。労組は軍用機の飛行中止を要求。経営側も、軍用機の飛行が続けば、ルフトハンザは著しい困難に陥ると政府を批判した(AP,16.5.99)。空爆で民間人に死傷者が出るようになってからは、新聞の投書欄でも、戦争を疑問視する意見が増え始めた。記者会見で、NATO担当官は「これが戦争なのだ」と胸をはれず、説明は苦しそうだ。まさに「弁解戦争」である。

  ところで、この戦争に関する注目すべき論説が、Die Zeit4月29日付に掲載された。哲学者J・ハーバーマスの論文「獣性と人道性――法とモラルの間の限界線上の戦争」。
  独特の文体のためだけでなく、戦争の複雑な側面を反映して、実に難解。この論文でハーバーマスは、リーガル・パシフィズム(法的平和主義)からもリアル・ポリティックス(現実政治)からも距離をとりつつ、NATO空爆の根拠づけを慎重に検証していく。その際、迫害された人間や民族を救うことをモラルだけで正当化する傾向を批判。「世界市民法」という概念を持ち出し、道徳的正当化の突出に対して、法の論理をぎりぎり貫こうと試みる。国際人道法が「世界市民法の下位の制度化」と位置づけられている点などは示唆的だ。その上で、国家権力による大量犯罪が起こり、他に手段がない場合、民主的隣人は、国際法的に正当化される「緊急救助」(Nothilfe)を急がなくてはならないとする。

  一読してみて、国民国家の相対化や国際関係の分析など、示唆的な叙述も少なくない。しかし、「緊急救助」という概念が、厳密な定義なしに使われていることに、まず違和感を覚えた。結びの部分で、「NATOの自己授権が通常の状態になってはならない」と批判はするものの、国連決議なしの空爆を「今回だけは例外として認める」と言ったに等しいのではないか。国連改革の提言(安保理改革など)も、今回の論文では付け足し的印象が強い。
  本論文については、tageszeitung紙5月5日付が批判的コメントの載せたのが最初の反応。Die Zeit紙20日付掲載の9本の読者投稿も、「大量虐殺へのノーから直接に軍事的緊急救助を導く」論理の飛躍を突く意見や、「一国の破壊を通じた世界市民への道」の非現実性を指摘する意見など、「何と美しい夢想!」という大見出しが示すように、批判的トーンの方が強い。
  12日付同紙に掲載されたR・メアケル(法哲学・刑法)の論文は、NATO空爆を「緊急救助」概念で正当化することを厳しく退ける。「緊急救助」とは、現在の違法な侵害から「他人」を免れさせるための必要な防衛を意味し(正当防衛の場合は、「自己」と「他人」)、これは無関係な第三者の侵害を禁止している。無辜の市民(第三者)を犠牲にすることは、この概念では説明できない。メアケルによれば、NATOが行っていることは、脅迫手段たる暴力が、無関係な第三者に向けられる「脅迫戦争」(Ntigungskrieg) である。この戦争は、国際法上はじめから違法であり、かつ正当性がなく、倫理的正当化もできないと断定する。メアケルの主張に共感を覚える。

  なお、ハーバーマス論文を読んで、かつて坂本義和『相対化の時代』(岩波書店)がボスニア問題を念頭に置きつつ、「国際的強制力の局地的・限定的行使」の承認に踏み込んだときと同様の問題を感じた(拙著『武力なき平和』参照)。

将来の「世界市民社会」に向けた展望を理論的に明らかにする課題と、現に存在する制度や規範のなかにその可能性や兆候を発見し、発展させる課題、さらに、現に起きている虐殺や追放への具体的対応の課題を有機的に結びつけることの難しさである。現実のアメリカやNATOの軍事戦略を踏まえれば、これに「世界の警察」という「公的」役割を認めることはできない。