ユーゴ発、笑えぬジョーク 1999/6/21 ※本稿はドイツからの直言です。


沢匡氏(故人)の『武器としての笑い』(岩波新書)は、私が好きな本の一つだ。笑いをこよなく愛し、笑いを大切にした人だからこそ、「笑いの力」を十分に心得ていた。彼が注目したのは、権力者が言論を抑圧してくるとき、どこでも民衆の間にジョークという形の密やかな抵抗が広まることだ。ナチス時代でも、スターリン主義の体制下でも、その他の独裁国家でも、よく似たパターンのジョークが流布した。例1:ピノチェット・チリ大統領(当時)が映画館にお忍びででかけ、自分のニュース映画がどう見られているかを確かめにいく。彼の映像が出てくると、観客は総立ち。拍手と歓声をあげる。ビノチェットは「よしよし」と満足げに帰ろうとすると、突然、一人の男に小突かれた。「オイッ拍手しろ。さもないと逮捕されるぞ」。例2: 80 年代初頭のこと。モスクワの赤の広場で、「ブレジネフ書記長は愚か者だ」と叫んだ男が逮捕された。国家元首侮辱罪ではなく、国家機密漏示罪で。例3: 70 年代のポーランドの話。ギエレク第一書記(当時)がモスクワで背広を仕立てた。裾も丈もぴったり。ご満悦でワルシャワに戻り、民衆の前に立つが、どうも丈が短くなった気がする。「おかしいな、こんなに早く縮むわけないのに」と言うと、妻が、「あら、あなた。モスクワでは、ずっとひざまずいていたでしょ」。民衆が権力者を笑い飛ばす、きつい一発の数々。だが、空爆下のユーゴから届いた「ブラック・ジョーク」は笑えない(die tageszeitung vom 1.6.99) 。例1:日本人とドイツ人がセルビア人を慰めていた。「広島と長崎の爆撃のあと、私たちは奇跡的に立ち上がり、繁栄した国になりました」と日本人がいうと、「マーシャル・プランのおかげで、ドイツは第2 次大戦の廃墟から抜け出し、経済大国になりました」とドイツ人が続ける。セルビア人が答えた。「ただ問題は、私たちが勝利するだろうということです」。例2:小学校の先生が生徒に尋ねた。「Zezelj鉄橋の上を流れる川を何というでしょうか」。生徒「ドナウ川です」。例3:地理の時間に先生が質問した。「ベオグラードからNovi Sadへの最短の行き方を述べなさい」。生徒「まずモンテネグロのBar 港まで陸路を行き、船でイタリアのBari港へ。そこからAvianoNATO軍の基地まで行けば、そこからどこへでも30分でひとっ飛び」。空爆で34の橋と11の鉄橋が落とされたことを知れば、例2 と3 は理解できよう。NATOの空爆停止宣言で、戦争は一応終わった。西側の見積もりで5000人(ユーゴ政府発表で、軍人462 人、警察官114 人、民間人2000人)が死んだ。数百人のコソボ難民と3 人の中国人も死んだ。NATO側では、2 人の米軍パイロット(演習中の事故)と1 人のドイツ軍人(橋から戦車が転落)が死んだ。そして、86万人以上が空爆開始後に難民となった(UNHCR発表) 。ユーゴ軍の102 機の戦闘機、427 門の榴弾砲、269 両の装甲車、151 両の戦車、283両の軍用車輛、16の司令施設、29の弾薬貯蔵所、石油貯蔵施設の57%が破壊された(FR vom 12.6) 。「正義の戦争」を肯定する哲学者A.Margalitも、国連決議なしの空爆や民間人の死者が出たことから、「戦争における正義」はここでは達成されなかったとする(Die Zeit vom 10.6) 。EU議会選挙の前日、「正義」を強制する「コソボ平和部隊」(KFOR)の展開が始まった。その直後、ドイツ兵とセルビア人との銃撃戦で死者が出た。報復を恐れて、今度はセルビア系住民の脱出が始まった(国際赤十字発表)。NATOが援助したUCK(コソボ解放軍) によるセルビア系住民へのテロも報告されている。「誰がコソボのセルビア人を守るのか」(Die Welt vom 15.6) 。ウルトラ保守系紙にも、危惧する記事が載る。アルバニア系住民の「人権」を守る名目で空爆を行なったNATOが、少数派のセルビア系の「人権」を守るために武力を行使するのか。軍事介入のディレンマである。加えて、ドイツをはじめヨーロッパ諸国(日本も)に課せられてくる、「長い戦後」(Der lange Nachkrieg,Die Welt vom 11.6) の負担を考えれば、この戦争に「勝利」した者はいない。例1 の「ジョーク」の暗さ(ブラック)は限りない。

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