ドイツ「水軍」の求人航海 1999/6/28 ※本稿はドイツからの直言です。


イツ海軍の第3 掃海戦隊所属の多目的輸送艇LachsFlunder 、掃海艇GefionFrauenlobMedusaの計5 隻が、ボンを訪れた。デンマーク国境に近い、バルト海沿岸のOlpenitz基地からライン川をのぼってきたのだ。ドイツは北海とバルト海に面するだけで、海軍の役割は相対的に小さい。巨大河川でも活動するから、「海」軍ではなく、村上水軍ならぬドイツ「水軍」とでも訳すべきか。5 隻の艦艇はライン川の両岸に分かれて停泊。夕方5 時から8 時まで一般公開が行われた。日本人の時間感覚では遅いように感じられるが、日の入りが9 時半過ぎなので明るい。しかも「ターゲット」(若者)は早い時間帯には来ない。33日間の「求人航海」。上流のカールスルーエを起点に、ボンなどライン川沿いの計15都市を訪問する。この一帯は人口が多いので、兵士獲得の効果は高いと司令のLochbaum中佐はいう。陸軍の野戦憲兵が警戒するなか、艇内公開が行われた。ライン川は増水していて、掃海艇はかなり揺れた。91年湾岸戦争時、ドイツ掃海艇が東地中海に派遣されたことを言うと、展示の手伝いをしていた退役軍人(59 歳) が嬉しそうな顔をして、甲板の特設売店でミネラル・バッサー(炭酸水)を買い、ごちそうしてくれた。多目的艇は掃海作戦の支援任務をもつ。装備は20ミリ機関砲のみ。上陸用舟艇のように前後が開くようになっている。操舵室なども見たが、機器はかなり古い。対岸の3 隻の掃海艇にも乗ったが、こちらは40ミリ砲と最新式の掃海具を備える。多目的艇と違い、操舵室や通信室などへの立ち入りは禁止された。海軍艦艇がライン川を使って求人活動という発想が面白い。肝心の求人活動の方は、散歩途中の老人や小さな子どもを連れた家族ずれと、私たち夫婦だけで、効果のほどは疑問であった。なお、国防省は徴兵拒否者は増えていないと公言するが、ベルリンの反戦団体の調べでは、ベルリンだけで99年1 月から3 月だけで20%も拒否者が増え、予備役の拒否は倍増しているという(Die Welt vom 2.6)。冷戦後、兵役制度をとる国では、その存廃が議論されている。ドイツでも、「赤・緑」連立政権ができるとき、政策協定のなかで徴兵制の見直しをうたった。緑の党防衛問題担当ベーア女史は、政権発足時、ラディカルな連邦軍縮減案を発表。シャーピング国防相と対立した。だが、ユーゴ空爆が始まってからは、彼女はこの点について触れもしない。一方のシャーピングは、アイヒェル蔵相の軍事費削減発言に反発すると見せかけて、これに便乗。国防用組織を縮減して、海外展開能力のある「危機対応部隊」(KRK) を今よりも多い50000 人に増員するとともに、長距離輸送機の導入を求めた(http://www.bundeswehr.de)。シャーピングの狙いは、軍事費削減を受け入れながら、「質的軍拡」を狙ったもの。さすがに、6 月下旬になり、ベーアはこの方向にクギをさしたが、それとても10000 人までならば、という腰の引け方だ(FR,Die Welt vom 24.6)。国防軍から危機対応軍へ。冷戦後のNATOの新方針にも照応しながら、国防を主任務としてきた連邦軍は、NATO域外に生き甲斐を求める。この方向は、周辺事態法をもった日本でも同様だ。長距離輸送機(C-17)、大型輸送艦、高機動車。これらは緊急展開部隊の「三種の神器」だ。戦闘機、イージス艦、戦車と比べ地味だが、海外遠征能力は増大する。この点に着目した概念が「質的軍縮」である。軍事費の額や装備の数量だけでなく、兵器や部隊の質的機能にもっと着目すべきだろう。ライン川に浮かぶ掃海艇を見ながら、そんなことを考えていた。