「法律的不法」の世界へ 1999/7/19 ※本稿はドイツからの直言です。


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月第3土曜。近くのRheinaueという大きな公園で、ノミの市(Flohmarkt) が開かれる。園内2キロにわたり巨大な骨董品市と化す。子ども服だけの店や、窓の金具や古い把手の店など、何でもありだ。数百軒の出店は、引越しを控えた家族が家財道具を並べて売っているのから、本格的な骨董品屋や古本屋までさまざまだ。古書は~5マルクの破格値。娘は新品のローラー・ブレードを25マルク(8割引き!)で入手した。

  旧東独国家人民軍(NVA) の下士官だった髭のおやじと再会した。彼からは先月、大戦中や冷戦時代のグッズを大量に買った。何種類かまとめ、さらに値下げ交渉するのがコツ。ここで4割引かせた。今回は、橋の下に怪しげな骨董品の出店を見つけた。帝政時代からナチス時代までのものを扱う。
  個人の遺品類や古い文書類の束のなかに、親衛隊(SS)の秘密指令文書を見つけた。変色した1枚の紙切れ。これだけで1週間分の生活費になる。妻の顔を思い浮かべながら、値下げ交渉に入る。他の資料とセットで値引きに成功。髭のおやじから入手した砲弾(ドイツ海軍1943年製)の薬莢に入れ、人込みのなかをよろめきながら駐車場までたどり着いた。国家秘密の印、親衛隊 (SS) 最高指導者H. ヒムラーのサイン入り。日付は1943年6月20日、受理番号45363 。Sollmannという占領行政担当者に、上級集団指導者Frank と連絡をとり、処刑されたチェコ抵抗運動家の子どもの処置を委任した文書だ。命令調ではなく、「この決定は当然、非常に賢明なものでなくてはならない」という婉曲な表現がかえって不気味だ。「悪い〔人種の〕子どもは決められた収容所へ。よい人種の子どもは、人間的かつ正しく教育されないと、両親の復讐者となり得るから、ドイツ家庭に養子として斡旋しなければならない」。結びは「ハイル・ヒトラー」である。

  これと関連するが、先月、ボン市庁舎1階ホールで、「ドイツ民族の名において:司法とナチズム」という展示会(連邦司法省主催)が開かれた(6月23日まで) 。初日は、司法政務次官や連邦行政裁判所長官が挨拶した。一通り見て回ったが、ヴァイマル共和国時代の司法の社会構造的問題(裁判官の出身階層など)から展示は始まり、法曹や被告人など個々の人物にも適宜スポットがあて、制度論に偏らない深みのある展示は興味をひく。そこでは、ナチスの法思考は三つにまとめられていた。(1) 民族共同体(汝は無である。汝の民族こそすべてである)、(2) 民族的不平等(人間は等しく人間であるのではない)、 (3)指導者原理(民族の委任と無制限な権限)。「運動は法律の外にある」という「論理」で、突撃隊(SA)や親衛隊(SS)の暴虐行為は、司法的に裁かれなかった。そして、SA指導者への血の粛清もまた正当化された。「民族裁判所」のフライスラー長官が、ハイル・ヒトラーをやって判決言渡しを行なう。そこでは無罪はあり得ない。量刑の基準も政治的で、「国家の敵か否か」だ。徹底した人種差別の法律など、ナチス時代の悪法の数々が、手際よく説明してあり、おぞましい「法律的不法」(G.Radbruch)の世界にワープできる。法服の裁判官たちが、ヒトラーの肖像の前で忠誠を誓う写真は、何度見ても虫酸がはしる。研修中の裁判官の卵たちが、条文を示す§マークの飾りを絞首台に吊るして撮った記念写真まである。まさに「法の処刑」だ。

  昔、チェコ占領中の抵抗運動を描いた映画をみたことがある。法廷のすぐ隣がギロチン部屋になっていて、判決が出ると、両手を抱えられ隣の部屋に連れていかれ、すぐにギロチンの刃が落ちてくる。その瞬間、血を洗い流すシャワーの水が勢いよく出る。判決を言い渡す裁判官の口元とシャワーの水を何度も交差させる映像は、本当に怖かった。手元にある変色した1枚の紙切れ。その向こうに、チェコの勇気ある市民とその子どもたちの無数の生命がある。



追記:2017年3月20日付「直言」を機会に写真を追加しました。

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