アウシュヴィッツの笑い声 1999/9/13 ※本稿はドイツからの直言です。


シフィエンチム。ドイツ名「アウシュヴィッツ」。毛髪の山、眼鏡の山、皿や坪、歯ブラシなど日用品の山、靴の山、カバンの山にはショックを受ける。妻は、ゴミの分別を思い出したという。ドイツでは、リサイクル可能なものとそうでないものを分ける。リサイクル可能な方は徹底的に分ける(ビンの色などで)。そうでない方は極端な話、生ゴミと割れた電球が、使えないものという点では一緒なのだ。ナチスもユダヤ人を「最終処分」する際、リサイクル可能なものを徹底して「分別」した。毛髪で編んだ織物の不気味さは言うまでもない。
  「囚人」(厳密に言えば、犯罪者として刑に服しているわけではないので「囚人」ではなく、またその殺害は「処刑」ではない)の大きな顔写真が薄暗い廊下いっぱいに並べられている。なかには微笑んでいる人もいる。2万人を銃殺した「死の壁」。3mもないところで、そんなに多くの人を殺した執拗さに驚く。すぐ手前の建物に洗面室があって、そこで洋服を脱がせ、ドアから出てすぐに射殺した。洗面室は男性用と女性用に分かれている。殺す前に男女別々に服を脱がせるという「配慮」がにくい。餓死室や、立ち牢(座らせない狭い独房)。ガス室と死体焼却炉は、今までみたドイツのどこの強制収容所よりも「立派」だった。殺人装置は合理的に作られていて、それが怒りを増幅させる。

  出口に近い木陰のベンチで休んだ。無言でパンフレットを読む若者。ショックを受け、座り込んでいる人もいる。その時、突然、大きな拍手と笑い声が施設内に響きわたった。人々がギョッとしてその方を見ると、韓国人ツアー客が笑いながら出てくる。何がそんなに楽しいの。単なる観光地の一つにすぎないのか。ドイツで出会うツアー客は韓国や中国の人が多く、日本人は単独旅行が増えた。韓国も中国も経済的によくなって、一時代前の日本人ツアー客のようなものだろう。

  そこから車で3キロほどいくと、ビルケナウ収容所に着く。アウシュヴィッツよりも敷地が広い。建物は1列だけで、あとは台座とストーブの煙突が残されている。それが墓標のように見える。アウシュヴィッツが殺戮の内容(どんな人々が、どのように)を伝えるミクロ的な視点を、ここは殺戮の規模(どれだけの人が)を伝えるマクロ的視点を提供する。二つがセットで、絶滅収容所の全体像が分かる。その点に感心した。

  ビルケナウのガス室は親衛隊が破壊したので、残骸だけだ。28カ国、150万の人々が殺されたので、多数の言語の慰霊碑が並ぶ。ショックだったのは、ガス室・焼却炉の近くにある池。「灰の池」といわれ、死体を焼いた灰が捨てられた。濃い緑色の濁った池の底には、人間の灰がたっぷり沈殿して、ドロッとしている。驚いたことに、地元の人が自転車で来て、バケツでその水を汲んでいくのだ。「何にするのかしら」という妻の質問には、「良質のカルシウムがたっぷり含まれているので、健康飲料になるのだろう」といった「ジョーク」が許される場所ではないので、「分からない」とだけ答えた。地元の子どもたちが、自転車で収容所内を走り回って遊んでいる。子どもだけかと思ったら、中年の男性3人が収容所の用水池に足を入れて、ボーッとしている。涼をとっているという感じだった。「そんな場所か、ここは」、と思わず叫びたくなった。ただ、近所の住人にとっては、「世界遺産」といっても、あまり関係ないのだろうか。アウシュヴィッツの悲惨さに加え、心ない人々に数多く出会ったため、帰りの車では皆、終始無言だった。

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