東チモールのこと 1999/10/11 ※本稿はドイツからの直言です。


の隣人は国籍が全部違う。ブルガリアの学者からカタールの軍医中佐まで。上の階のカナダ人(国連機関の幹部)とは、家族ぐるみの交流をしている。

  私の娘に英語を教えてくれていた息子さんが、7月初めに国連東チモール支援団(UNAMET)に参加した。それから娘は、BBCCNN のTVニュースを観るようになった。私もインターネットの関連情報をプリントアウトしたり、新聞各紙を切り抜いて、娘に説明するのが日課になった。彼女は思うところを文章にしていたが、そのうちの一本を朝日新聞「声」に送らせたところ、運よく採用された(『朝日新聞』1999年8月7日付投書欄)
   8月30日に行われた住民投票は98.6%という高投票率で、78.5%が独立支持という結果だった。だが、投票直後から、残留派民兵による暴虐行為が頻発。国連関係者にも死者が出て、娘の顔も曇りがちだった。

  東チモール問題の箱が切り抜きや資料で一杯になった9月中旬、彼が帰ってきた。妻が近所の魚屋で小振りのマグロを一本買ってきて、刺し身や寿司などを大量に作り、無事帰還を祝った。彼はげっそりやせて、帰宅後の一週間ほど眠れない日々が続いたという。

  インドネシア国軍の悪質な役割の話になると、彼の表情は一転険しくなる。独立派住民への殺害計画は、すでに今年2月16日段階で、国軍のY.S.中佐が民兵指導者をディリに集めて組織していたという(Frankfurter Rundschau vom 17.9)。国軍の組織的関与は明白だ。多数の住民の生命が危ないという状況のもとで、国連安保理決議を受けた「多国籍軍」が東チモールに展開した。だが、民兵の暴虐の背後には、インドネシアがいる。東チモールを「アジアのコソボ」と呼ぶならば(Die Welt vom 6.9.99)、ジャカルタ空爆が筋になる。だから、インドネシアの「同意」のもとでの展開には初めから限界があった。しかも、各国軍隊の寄せ集めで、主力はオーストラリア軍。国益絡みの突出ぶりが際立ち、マレーシアなどとの対立も生まれている。

  根本的問題は、東チモール問題発生の当初から、先進諸国がインドネシア擁護を続けてきたこと。日本の役割はとくに悪質だ。国連総会は75年以来毎年、インドネシアの東チモール支配を非難する決議を挙げてきたが、日本はその決議に一貫して反対してきた。国連人権委員会での東チモール決議には、先進国で唯一棄権し、足を引っ張っている。

  軍隊派遣で実績を作ろうと、ドイツもしぶしぶ参入した。フィッシャー外相が国連総会の演説で派遣を約束。国防相は、緊縮財政下で東チモール派遣はしないと明言していただけに、両者は一時対立した。連邦議会も、外相の先走りを非難しつつも、「象徴的貢献」(CDU) ということで、10月7日、衛生部隊100人派遣に同意した。13日、空軍輸送機(C160)2機がオーストラリアに向けて出発。要員100人のうち、医療関係者は20人のみ。月510万マルク(3億円弱)の出費。軍隊を送ると金がかかる。医療活動に直接支援した方が効果的という声もNGO などにはある。ここでも、結局、軍隊派遣の問題に矮小化されていった。インドネシアの後ろ楯がなくなれば、残留派民兵は干乾しになる。

  インドネシアに対して、外交や経済援助の面で強力なカードは日本は切れる位置にいる。そのカードを曖昧にしておいて、自衛隊派遣の議論に持っていくのは、東チモール問題解決とは別の意図があるとしか思えない。娘の友人がやっている国連ボランティア(UNV)の活動は多岐に渡る。彼はこれに対する日本の資金協力を高く評価する。だから、東チモールのような「各論」になったとき、日本の態度が後ろ向きなのが残念でならないという。

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