軍事演習場の「森のデモ」 1999/11/1 ※本稿はドイツからの直言です。


10月3 日「ドイツ統一」9 周年の日、ザクセン・アンハルト州コルビッツ・レッツリンゲン原野へ行った。93年から毎月第一日曜日に行われている「平和の道」(Friedensweg) という森のデモに参加するためだ。ここの問題は、直言でも書き、『琉球新報』で2回紹介したことがある(93年と97年の5月3日付拙稿)。

  主催者がメールで指定したレストラン(Zum Waldfrieden)に着く。食事をごちそうになりながら、75回目の集会について話を聞く。中心メンバー8人の仕事は様々、政治的スタンスも様々だ。やがて100人ほどの住民が集まり、森に向かう。キスしながら歩くカップル、ベレー帽の紳士、赤ちゃんを抱っこした父親等々。バクパイプを吹く芸人が先頭に立ち、まるでピクニック気分だ。

  6万haの広大な原野は、中欧でも有数の未開拓原野で、周辺60万住民に飲料水を供給する水源涵養林でもある。原野の軍事利用の歴史は長い。1890年、軍需産業クルップ社の射撃場となり、1934年からはナチス・ドイツ軍の演習場となった。45年4月中旬、森に隠れたドイツ兵をいぶし出すため、米軍が原野に放火した。次いでイギリス軍が来た。7月にソ連軍が占領。その後、ソ連軍演習場として半世紀近く使用される。冷戦終結でソ連軍撤退が決まると、91年10月、州議会は原野の民間利用促進と自然公園への転換を決議した。だが、連邦政府は地元の返還要求を無視。連邦軍の部隊演習場として、軍事利用継続の方針を打ち出し、連邦議会も同意した。

  ドイツ最大の軍事演習場。「世界で最も現代的な戦闘訓練センター」(H del 中佐)を目指し、14日間交替、年間47週間の部隊訓練が行われている。これに対し、州議会だけでなく、保守系が多数を占める4つの郡議会や、100以上の市町村議会も、「民間利用」を求める決議をあげた。「開かれた原野」という住民運動も生まれ、自然保護団体とともに、演習場を自然公園に転換する対案を提起している。「後の世代に、原野をよりよい状態で引き継ごう」「戦車の代わりにキノコを」「射爆場の代わりに職場を」。住民運動のチラシにある言葉だ。
   この州の失業率は20.3%。この数字は全国平均の2倍。連邦政府は演習場の経済効果を説くが、日本のような基地交付金で釣る方式がとれない分、政府には不利だ。逆に、自治体・住民の側は、原野の民間利用の経済効果を積極的に打ち出し、連邦軍を「経済的障害」と規定する。
   今年提起された『経済効果・自然公園』という住民側の構想は、研究者や専門家も多数参加。「持続可能な経済・就業計画は、軍隊なしでも可能」ということを具体的に示している。まず、原生林のある中心部5000haを自然保護区域に指定。農業・林業・観光を禁止する。周囲に保養地ゾーンを設け、自然にやさしい農業・林業を発展させ、観光についても、環境と社会にやさしい「エコ・ツーリズム」を奨励する。開発ゾーンでは、観光道路や建物の建設が許されるが、環境との調和が要求される。地球環境を視野に入れたグローバルな地域振興策だ。

   森の集会では、芸人がギターを片手に、ユーモアたっぷりの演技をすると、集会を監視していた演習場管理部広報将校のH. Baldus大尉と部下も、笑いながら拍手していた。「これは合法的な集会です。演習場は安全ではないので、小さな子どもたちに危険が及ばないよう、見守っているのです」と大尉。私も挨拶をさせられた。狭い土地に米軍基地が集中している沖縄について紹介した。ここに長年住む老婆が、原野でとれるキノコとそれを使った料理の話をして、集会は終わった。美しい自然のなかの、声高にスローガンを叫ぶこともない、しかし静かな決意の感じられる、自然体の「森のデモ」だった。

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