連邦軍元総監の安全保障論 1999/11/22 ※本稿はドイツからの直言です。


と城と湖の美しいアイフェル(Eifel) 地方に住む、連邦軍元総監D.Wellershof退役海軍大将の自宅を訪問した。ボン大学のJ.Isensee 教授のはからいによる。海軍提督らしい精密な案内図をFAX してもらっていたので、その町には簡単に着いた。だが、肝心の家が見つからない。城の周囲を探し、近くの薬屋で尋ねて驚いた。提督の家は城そのものだった。大きな扉、赤じゅうたんの立派な階段を上がり、いくつもの部屋を抜けて案内された重厚な書斎には、デスクトップ型パソコンが起動している。周辺機器を含め、OA環境は抜群だ。66歳。連邦軍トップの座にあったのは1986年から91年まで。ゴルバチョフのペレストロイカ、ベルリンの壁崩壊、ドイツ統一、湾岸戦争、ワルシャワ条約機構解体、ソ連邦消滅という激動の時代である。個人的な体験やエピソードは、まさに時代の証言だ。とくにポーランド軍高官との交流の話は、軍人の本音と建前がよく出ていて面白かった。提督の新著『安全保障と共に--- 昨日と明日の間の新安全保障政策』(ボン、1999年)を事前に読んでいたので、話の筋を追うのは容易だった。提督の問題意識は、冷戦思考からの脱却。新しい安全保障政策のために、「敵」(Gegner)や「何に対抗して」(Wogegen) という発想ではなく、「拡張された安全保障概念」を提示する。軍事の相対化とも言える視点で、実に柔軟である。人権、民主主義、法治主義、福祉を四本柱にして、平和・安全保障を考えていく。安全保障の担い手としてのNGO(非政府組織)の位置づけも高い。紛争予防や紛争の影響の緩和という意味でも、人道的援助組織としてのNGOの役割を重視する。また、対人地雷全廃に向けたNGOの努力を高く評価。対人地雷全廃を無条件で支持する。ただ、武器の一般的禁止や軍隊の解体にまで至る議論は誤りだとするのは、軍人である以上当然だろう。もっとも、軍隊のあり方についての考えはかなり柔軟だ。徴兵制廃止論には与しないものの、平時および危機管理における軍隊の役割を重視する。柔軟性と機動性を備えたハイテク部隊の「危機対応部隊」の編成は、提督が現職にあったときの決定と胸をはる。冷戦型軍隊から、「国際的緊急援助」の能力を備えた連邦軍への転換を志向したものだ。軍事権力の行使の国際法的正当化論の精錬に心掛け、軍事介入の論理も緻密である。提督は「人道的介入」について、(1) 人権の体系的侵害が存在すること、(2)一国だけによる介入は許されないこと、(3) 警察的任務に限定すること、を要件として挙げた。ユーゴ空爆の評価をめぐっては意見が対立した。私が全欧安保協力機構(OSCE)の監視団が任務を遂行中に、これを追い払うようにNATOが空爆を始めたことを取り上げ、提督の基準(3) にもNATO空爆が反していることを指摘した。私の見解は、朝日新聞アジアネットワーク安全保障チーム提言のなかで「ヨーロッパからの視点」として発表したので参照されたい(朝日新聞6 月29日付特設面)。これをAsahi Evening News(July 21,p.5) に翻訳したものを差し上げた(A.Mizushima,Kosovo a test for post-Cold War era) 。提督はご自身の主張を「理想主義的な楽観主義」と言いながら、安全保障において重要なのは民主主義だという。この点、周辺事態法をめぐる日本の国会の悲惨な状況を紹介しつつ、提督の意見に同意した。制服トップというよりも、温和な学者の雰囲気だ。連邦軍大学校長、連邦安全保障アカデミー創設時の会長を務め、現在ボーフム大学で「人道援助論」の講座をもち、週一コマ学生に教えている。帰途、霧と緑のなかの城は美しかった。翌々日、提督から論文の抜き刷りが届いた。国連憲章2条7項の内政不干渉原則に関する論文だった。