2000年の花火 2000/1/3 ※本稿はドイツからの直言です。

イツの大晦日(Silvester)は花火で彩られる。家庭でも花火をやる。それもヒューと音をたてる打ち上げ花火。ボンでは、旧連邦議会議事堂で、ベートーヴェンの第九交響曲が演奏された。大型テレビで野外中継され、ライン川周辺に第九が流れた。11時30分に演奏が終わると、両岸で市民が花火をあげ始める。人が大勢いるのに、近くの人が花火を打ち上げ、思わず首をすくめた。カウントダウンが始まり、0時ちょうど。旧議会正面に停泊する「花火船」から、続けざまに大型花火が打ち上げられた。総数1036発。集まった市民が歓声をあげる。シャンペンを抜く人も。根拠法令は確認していないが、12月31日午後18時から翌朝1日の7時までが花火打ち上げの許される時間帯で、それ以外は罰金だという(Berliner Zeitung vom 31.12.99) 。
  わが家では、CNNの中継をずっと流していた。2000年を迎える順番ははっきりしている。だから、各国とも、世界が自分に注目するわずかな「持ち時間」を派手に演出していた。ドイツ時間の午後3時58分。私も原稿書きを中断して、居間の家族に合流。カウントダウンを聞いた。CNNキャスターが「次は日本です!」と叫んだ直後、見慣れた芝・増上寺の映像。ゴーンと一回鐘をつき終わった僧侶が、檀家の一人に「次は、あんただよ」と手招く。そして参拝客が透明の風船を空に放つ。そこで時間切れ。家族も私も無言だった。除夜の鐘と参拝客。いつもの大晦日・初詣風景だが、前後のオーストラリアと香港が共に派手な花火だっただけに、日本の地味さが際立った。もっとも、東京・ベイエリアでは、消防艇の一斉放水付きの花火打ち上げがあったが、CNNのクルーは、東京タワー直下の増上寺を中継場所に選んだ。どんな判断が働いたのか不明だが、2日の新聞には、花火なしの日本だけが載っていない(Berliner Morgenpost vom 2.1.00)。2000年初頭に、またもプレゼンテーション下手な日本の姿を世界に曝してしまったという見方と、いや、日本で花火は夏の季語。乾燥注意報の出ている真冬の街中で、花火大会はふさわしくない。「ゆく年くる年」の雰囲気で、大晦日は静かに味わうもの、という見方がありうる。いずれにせよ、世界の目が、キリバスからハワイまで、24時間かけて、お互いの様子を見つめあったことだけは確かである(CNNのフィルター付き)。
  「世界の2000年」のテレビを横目で見ながら、私は、ヘルムート・シュミット元首相が高級週刊紙に発表した3頁の大論文を読んでいた。題して「全く違う世紀――第三の千年の始まりで、人類は暴力的諸問題に直面している」(DIE ZEIT vom 29.12.1999) 。彼は気候変動、人口爆発、経済危機などを大きなスケールで分析したあと、西欧とイスラムとの衝突の問題を重視する。明らかにハンチントン「文明の衝突」を意識したものだが、シュミットがハンチントンと距離をとるのは、ヨーロッパの役割の評価である。シュミットはいう。次の世紀に人類に課せられた課題は、ヨーロッパの実質的参加なしには、ヨーロッパの自然科学的基礎研究、応用文明技術、哲学的・精神科学的、社会科学的基礎なしには、効果的に解決できないだろう。イスラム文化圏と欧米的文化圏との危険な衝突を避けるための、よりよき相互理解は、ヨーロッパ主導でしかあり得ない。米国は歴史的にも地理的にもイスラムと離れすぎているからだ。イスラム自身、インドネシアから中央アジア、中東を経由して、ナイジェリアまで、バラバラで統一がとれていない。だから、我々ヨーロッパ人は、ムスリム・テロをイスラムの特色と見てはならない。世界史上キリスト教徒のテロもあったし、西欧文化圏には今もテロがある。イスラム――総じて他の宗教や文明――に対する尊敬と寛容の創出。これが新しい世紀におけるヨーロッパの最も困難な課題の一つとなるだろう、と。重要な指摘である。
  いま書斎の外では、隣人がヒューッと花火をあげている。「ゆく年くる年は静かに味わう方がいい」と、一人でブツブツ言っていた。