軍隊の雇用機会均等? 2000/ 1/24 ※本稿はドイツからの直言です。

98年12月16日、米英軍によるイラク空爆が行われた際、そこに一つの歴史的出来事が含まれていた。米海軍の女性パイロットが、初めて実戦で爆弾を投下したのだ。『沖縄タイムス』98年12月25日付社説は、「女性兵士の戦闘参加制限を解除するよう要求したのは女性団体である。全米最大の女性組織NOW (全米女性機構)の主張が、ついにこういう形で『男女共同参画』を実現させてしまった」と皮肉った。従来「男性共同体」と見られていた軍隊にも、女性の進出が目ざましい。この1月11日、ルクセンブルクの欧州裁判所が出した一つの判決が注目される。23歳の女性電気修理技師が、女性であることを理由に連邦軍への任用を拒否された事件。ハノーファー行政裁判所で争われたが、欧州共同体条約117条(現在の条約では234条)の平等原則の解釈に関わって、欧州裁判所の判断が求められたのだ。ドイツ基本法12a条1項は、18歳以上の男性に兵役義務を課す。同4項1文は、防衛事態(戦時)において、18歳から55歳までの女性を、病院や野戦病院に徴用することを認め、同2文は、女性が「いかなる場合にも」武器をもってする勤務をしてはならないと定めている。これを受けた軍人法1条2項3文は、連邦軍において女性は、衛生勤務と軍楽隊にだけ任用できると規定する。軍人の経歴に関する命令(Soldatenlaufbahnverordnung)3a条もこれを確認している。この女性は、衛生でも軍楽でもない、テクニカルな部門に就職しようとして拒否されたわけである。現在33万人いる連邦軍の軍人のうち、女性は4416人(衛生勤務4360人、軍楽隊56人)。今回の判決は、雇用機会均等など労働関係における男女の平等な扱いを求めた76年EEC基準が、軍隊の領域にも適用されるとした。ただ、いかなる活動がこれにあたるかは、原則として加盟国自身が決定で]きるとした。すでに昨年10月、欧州裁判所は英国の同種の事例において、安全保障の問題は加盟国の事項であることを確認しつつも、常にEU法が尊重されるべきとしていた。今回、欧州裁判所の15人の裁判官は、均等な扱いの原則は「可能な限り」実現されるべきであり、例外は「狭く解釈されるべき」とした。法廷でドイツ政府側は、武器をもってする勤務からの女性の排除は憲法上の要請であって、軍人法などの規定はEU法に違反しないこと、EU法は原則として加盟国の主権に属する防衛問題には適用されないなどと主張した。だが裁判所は、女性を武器をもってする勤務から一般的に排除し、女性に対して衛生勤務と軍楽隊だけを許容する国内法規定は、EU基準に適合しないという判断を示した。ところで、イスラエルには女性兵役がある。NATO諸国も女性の扱いはまちまちだ(括弧内は女性軍人の割合%)。すべての戦闘部門に女性を採用しているのがハンガリー(4.9)、ノルウェー(4.6) 、スペイン(2.6)であり、潜水艦だけを除くのがカナダ(11.3)とベルギー(7.1) 、フロッグメンとコマンド部隊を除くのがオランダ(7.2)とデンマーク(4.8)、地上部隊に対する直接攻撃を行う戦闘部隊と潜水艦のみを除くのがアメリカ(14.0)とイギリス(7.4) 、戦闘支援部隊に限定するのがフランス(6.3)、ポルトガル(5.1)、ギリシャ(4.0)、トルコ(0.9)である。女性は衛生勤務と軍楽隊だけというのはチェコ(2.7)、ドイツ(1.3) 、ポーランド(0.1)。イタリアとルクセンブルクには女性軍人はいない(Das Parlament vom 21.1)。ちなみに自衛隊は9059人(3.8 )で、女性の進出は多方面に渡り、ドイツより「進んでいる」。判決を受けて連邦国防相は、2001年から最大36から40の部門に女性を採用する方針を明らかにした。どうも軍人法等の部分改正で乗り切るようだ。その際、銃や大砲を撃ったり、銃剣で刺突したりする直接的な戦闘任務だけを「武器をもってする」と狭く定義して、物資を運ぶ輸送機のパイロットはこれにあたらないという解釈をとるのかもしれない。だが、基本法は「いかなる場合」という厳しい規定の仕方をしており、こうした解釈には疑問が残る。この判決は、兵役義務制軍隊か職業軍隊かという、連邦軍の将来構想の議論を加速するだろう。緑の党は、この判決に「兵役義務の終わり」をみる(ベーア防衛政策担当)。なお、ボンの地元紙の投書欄で一人の女性が、「戦争に参加することが女性解放なのか」と問い、連邦軍を単なる職場とする見方に疑問を投げかけている。そして、非軍事的紛争解決のための市民的平和勤務(ZFD)ならば、男女平等に活動できるとして、女性の戦闘勤務と男女同権とを結び付ける議論を批判する(General Anzeiger vom 21.1)。男女同権論だけを突出させた議論の危なさを突いた鋭い指摘である。