雑談(3) 「そりゃないぜ」の世界へ 2000年7月31日

週は講演を4本入れたので、このコーナーは埋め種用の予定稿で失礼します。さて、世の中をみると、「そりゃないぜ」と言いたいことが多すぎる。今回は私の身近の例を三題。

(1)  この4月、女性の訪問販売員が家にやってきた。昨年完成した市民斎場を利用する葬儀屋の訪問販売だ。「葬儀一式で325000円、付帯料金123000円の計448000円かかるところを、いま会員になれば12万円ですみ、何と328000円のお得」という。妙に明るい声が耳にさわる。「商品」とは何か。葬式セットである。遺影写真(額・リボン付)、ドライアイス1回分、お清め塩などと書いてあるパンフを見せながら、大声で「とにかくお得。お早めに契約を」と何度も繰り返すので、ついに妻が声を荒らげた。事は家族の死に関わること。老人が在宅している家もあるだろう。隣には私の母もいる。このやりとりをどんな気持ちで聞くか。直ちにその会社に電話をして、責任者を呼び出し、セールスの女性の名前を告げて、無神経な訪問販売ぶりについて抗議した。責任者は一応詫び、そのセールスは二度と近隣に現れなかった。何でもかんでも「商品」になる社会に生きているとはいえ、あまりの節度のなさにしばらく呆然としていた。

(2) 私の講演は「モノ語り」を含むことが多い。6月のある講演には、手榴弾と使用済み迫撃砲弾(花をいけて花瓶にするconversion)を持参。人を殺傷する兵器を直接手にとって体感してもらうために、講演の間、聴衆に手榴弾をまわした。やがて私の前に座っている年輩の人のところへ。驚いたことに、その人は私の手榴弾を分解し始めたのだ。「目が点」になった。注意しようと思ったが、話の流れを壊したくないのでそのまま話を続けた。情けない気持ちでいっぱいだった。本人の目前で、何のためらいもなく、黙々と「分解作業」を続けるその人の姿が目に残る。

(3) 12年前、ある歴史関係の会で講演した。テーマが治安維持法の現代的読み直しだったので、特高警察官手帳を持参した。昭和7年版と8年版。後者の方が分厚く、態勢強化の様子が確認できる貴重なものだ。監視・捜査対象の組織や人物のリストまで載っている。古書市で高倍率のくじ引きを勝ち抜いて入手した一品なのでとりわけ愛着がある。これは貴重資料のため回覧せず、私の手元に置いておいた。ところが帰宅後、昭和8年版がないのに気づいた。真っ青になって会場に電話したが、忘れ物はないという。主催者に連絡すると、私の隣に座っていた人が、面白そうなので家に持ち帰ったという。あまりにあっけらかんとした態度に、あきれて物が言えなかった。学校の教師が中心の会だったが、資料の扱い方に関する常識は子ども以下だった。

  大学教師になって17年。授業や講演のなかで、「現物をみて、触って、実感してほしい」という私の気持ちが裏目に出て、結局手元に戻って来なかった資料は一つや二つではない。6年前、私自身が回収し忘れ、青くなって教室に戻り、机にポツンと戦前資料が置いてあるのを見つけた時は寂しかった。誰でもいい。保管して、学務課なりに持っていってくれなかったのか。妻にはいつも「あなたはサービス過剰よ」と言われるが、聴衆や学生の喜ぶ顔を思い浮かべると、どうしても鞄がふくらんでしまう。もっとも、最近は体力が落ちてきて、重い資料を遠くの教室まで運ぶのが大変になったので、以前より「サービス低下」は否めないが。

  なお、私にはこの16年間に収録したNHK特集(スペシャル)やドキュメンタリー番組などのビデオが数百本あり、「社会の裏を見るビデオ」(「水島裏ビデオ」)として授業などで使っている。1987年の英国BBC放送「黒人死刑囚最後の15日間」は特に貴重な一本だ。8年前、それを学生に貸した。学生は私の不在中に、研究室のドア・ノブにビデオを入れた袋をかけて「返却」したのだが、それがなくなった。血眼で探したところ、階段下の溝に捨てられていた。以来、ビデオの貸出しはやっていない。

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