外国人の地方参政権 2001年1月15日

年12月、埼玉県の依頼で公務員研修をやった。1日6時間で4日間。超多忙な時期だったから、毎回酸欠状態になり、体力も限界に近づくなかでの講義だった。でも、県や市町村から研修出張で来た職員の方々の受講態度は大変よく、即日メールで感想も届くなど、やってよかったと思っている。

講義のなかでは、グループ討論も行った。10人ずつ10グループで話し合い、班長に論点を紹介してもらう。2日目に「外国人の人権」をテーマで討論した。その結果、外国人の地方参政権に賛成する意見が圧倒的多数を占めた。「むしろ遅すぎるほどだ」「地域の問題に真剣な外国人の方もいる」といった意見も。現場で直接外国人と接している職員から、色々な意見が出された。

地方自治の現場では、「コミュニティの一員としての外国人」に政治参加の道を開くことについて、前向きの意見が強いとの印象を受けた。だが、まったく違った発想をする人々もいる。

昨年10月、石原都知事は 関東知事会議の席上、外国人の地方参政権問題に触れ、「日本に居留している外国人が意思表示するということ自身が奇態な話」と述べた(『毎日新聞』東京本社版10月20日付)。「奇態な」という形容詞の使い方が何とも異様である。

『読売新聞』10月29日付社説もすごい。たとえ地方であっても外国人に選挙権を認めることには無理があるといい、その理由として、周辺事態法との関連を挙げるのだ。「日本に敵対的な国の国籍を持つ永住外国人が選挙権行使を通じて地方自治体に影響力を及ぼし、国への協力に支障を来す事態がないとは言えない。そうなれば国家の存立にもかかわる」。

米軍がアジアで強引な軍事介入を行う事態が起きて、国が自治体に対して米軍への「協力」を求めてきたとき、「敵の第五列」が自治体を通じてサボタージュするおそれがあるという発想だ。この論説委員の頭は、世の常識からすれば、まさに「奇態」に属する。改憲試案を執拗に出す新聞社らしい発想ではある。

ところで憲法学では、人権が外国人にも及ぶのか否かといった議論は、「人権の国際化」のなかですでに意味を失った。むしろ、「外国人に保障されない人権」 があるのかどうか、あるとすれば何か、その根拠は何か、という形で、外国人への保障を前提にして考えていくわけだ。一般には外国人に保障されない権利として、参政権、社会権、入国の自由がよく挙げられる。その場合、日本国籍を基準にするか、それとも生活の実態を基準にするかで、保障の可否・程度の判断は分かれてくる。とくに参政権は「国民」主権や「国民」代表との絡みで、国籍へのこだわり度は高い。だが、近年、在留(定住)外国人に関しては、国籍にこだわらない、現実的な処理が求める説が有力に主張される に至った。95年2 月の最高裁判決も、「地方自治の制度の趣旨からすれば、在留外国人のうちでも永住者等で居住区域と特段に密接な関係をもつに至ったと認められる者については、その意思を公共的事務処理に反映させるべく地方公共団体の長・議員等の選挙権を付与することは憲法上禁じられていない」と結論した。選挙権を国籍保持者に限定した判決 だから、93条にいう「住民」が日本国民たる住民であると理解されており、だとすると、これとの整合性はどうなるのかといった論点が当然出てくる。ただ、少なくとも地方参政権については、立法による道が開かれたことは確かだ。

だが、「永住外国人地方選挙権付与法案」は継続審議となった。与党は、「在日韓国・朝鮮人を中心とする特別永住者の帰化要件を緩和すれば、法案の成立の必要はない」という立場だ。従来、申請から1年程度かかっていた帰化手続きを簡素化し、「事実上、書類を提出しただけですぐに帰化できる」制度に改める方向という(『読売新聞』12月24日)。だが、「帰化」とは日本国籍の取得であり、国籍にこだわる人々は、依然として自治体の選挙に参加できないことになる。帰化の手続きを簡素化すればよいという発想は、問題のすり替えだと思う。「帰化」といった国家の論理ではなく、「たまたま外国籍をもっている地域に住む個人(自然人)」をコミュニティの一員としてどう扱うのかという具体論が問われているのである。

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