「荒れる成人式」考 2001年1月29日

人式、まるで学級崩壊。こんな見出しが新聞におどった。成人式の喧騒はいまに始まったことではないが、今年の特徴は、携帯の騒音(話し声と着信音)がマスコミに注目されたことだろう。「『着信音』を超え、『着信音楽』に。16和音&ヴァーチャルサウンド対応で、臨場感あふれる着信メロディ」(T 社の1月上旬の山手線車内広告)。

そもそも「着信音楽」なんて、電話機能の目的を超えるものだ。着信音ならすぐ電話に出るが、音楽だと「しばらく鳴らして、聴いて楽しむ」も加わる(人にアピールする?!)。「とらわれの聴衆」(拘束された空間において音声表現を聞かない自由を侵害されること)を生む最悪のツールだ。

事実、成人式は「着信音楽会」の様相を呈した。『読売』1月9日付特集によると、自治体の「成人式対策」は実にさまざま。友人同士が隣り合わないように指定席制にしたり(山形県酒田市)、携帯をオフにする誓約書を提出させたり(福井県鯖江市)、ついには親の同伴を求めたり(愛媛県大洲市)と、まるで4カ月早い「子供の日」 である。「おしゃべりタイム」を設けて、しゃべり疲れた頃に照明を暗くして「式」を始めたり(横須賀市、埼玉県飯能市、香川県観音寺市)、携帯を使った景品の抽選会をやるところも出てきた(埼玉県志木市)。喧騒の根源を逆用して、「静かな時間」を一瞬演出できた例として注目された。友人と久しぶりに会えば、思い出話に花がさくだろう。市長の話なんかより、友だちと交流したい。そこを突いて、ずばり「大同窓会」というところもあった(福岡市)。

私について言えば、28年前、成人式には出なかった。そもそも「式」が嫌いだから、結婚式もしなかったし、葬式もしないと遺言してある。当時は学園紛争の余波もあり、「お仕着せの成人式なんぞ、くそ食らえ」という雰囲気が強く、「式にチャラチャラ出るのは恥だ」との感覚をもつ人が比較的多かった。そんな当時の感覚からすれば、成人式で騒ぐ今時の若者は、「お仕着せ」に出て、そこで人の邪魔をして迷惑をかけるという、二重の意味で軽蔑の対象になる。「20歳」を祝うのなら、なぜ自分たちで自主的に運営できないのか。ニュース映像には、金髪・茶髪に晴れ着、それで携帯をかけまくる新成人の姿がたくさん出てきた。マスコミの目線もワン・パターンだが、それにしても、新成人の晴れ着姿は全然個性的でない。着物業界の宣伝にのせられ、親に金を絞り出させた結果である(数年後は我が身)。毎年、成人式の惨状をニュースで見たくないから、「こんなものいらない」の筆頭にあげ、なくしてしまえばよい、とも思う。世論調査で「成人式廃止」が47%に達したのもうなずける(『朝日』1月23日付)。

そこで思い出したが、『まるで異星人(エイリアン)』『会社に異星人がやって来た』(講談社)という本が書店に平積みになり、「新人類」と呼ばれる1960年代生まれの新入社員に、会社はいかに対処するかなんてことが真面目に論じられたことがあった。80年代半ばのことだ。その「新人類」も30代後半となり、4年前、『新人類、親になる』(小学館)なんて本も出た。古代ローマにも「今時の若者」を嘆く文書があったから、いつの時代も若者は、年輩者から「今時の若者は」と非難される運命にある。これは仕方ない。ただ、成人式には、社会の歪みや問題が実に鮮明に映ってしまうようだ。

ところで、私が今年の成人式で一番ショックだったのは、ニュース番組のインタビューで、晴れ着の新成人が発した一言である。「昔の人ってぇ、携帯なしにどうやって集まったんだろう?」。ハッとした。いまの若者は携帯がないと、集合もできなくなっていたのだ。

そういえば、帰国後、学生とコンパをやるため駅前で待ち合わせしたときのこと。私は時間通りに行ったが、そこには3人しかいなかった。「30分もすれば集まりますよ」。一人が言った。私は激怒した。「○○さんから連絡が入り、二次会から出るので、場所決まったら教えてと言ってます」。私は沈黙した。それでも、会場には何とかみんな揃った。

かつては、駅の伝言板(もう死語!)に書いておくとか、いろいろと工夫をしたものだ。遅れそうな人には、わざと集合時間を20分早く教えておくと、ぴったり集合できる。一人ひとりに、とにかくその場所に集まろうという意志があった。一端移動すれば、連絡をとるのが困難な時代だったから。

いま、待ち合わせの風景は変わった。デモに「流れ解散」というのがあったが、最近は「流れ集合」とでも言えようか。携帯が普及してから、「定刻主義者」の私は、待たされる時間が増えた。研究室で訪問者(記者、編集者等)を待っていても、約束時間直前に「いま向かっています」なんていう電話がよく入る。遅刻すれば人と会えなくなるという緊張感は確実に失せた。ゼミ合宿や取材で数台の車を連ねて移動するときは、学生の携帯は重宝する。

だが、便利さの反面、失ったものも多いのではないか。簡単に変更がきくという安心感(甘え)の結果、「時間への思いやり」の気持ちが薄くなったように思う。遅刻を「時間どろぼう」と感じる人々も減った。アバウトに集い、アバウトに付き合う。社会のありようも確実に変わっていくだろう。今年は次世代携帯電話が広まる。あえて「携帯放棄」を宣言している者としては、時代に逆行することになるが、これからも「心の安定」の方を大事にしたいと思う。

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