新聞に載らなかった奇妙な話  2001年8月27日

る新聞の大阪本社とは不思議と縁がなくて、コメントなどが4回ボツになった経験がある。ファックスで文章の訂正を2度も行ったのに、紙面の都合で全部カットなんてこともあった。こういう経験は東京本社や西部本社との関係ではなかったので、その新聞の大阪本社(ないし関西方面の支局)から電話がかかると、受けるかどうかで一瞬の「間」ができるようになった。もっとも、新聞は、早版から10版、14版(最終)と、見出しや記事の内容・扱いが刻々と変わる。最終版で不本意な見出しがついたり、コメントが紙面調整で落ちることもあり得る。いちいち怒っていたら、新聞とは付き合えない。でも、4度目ともなると、さすがに「痛みを伴う」。

  台風が近づいていた8月のある日。急ぎの原稿を抱え、締め切りを二度延ばしてもらって、最後の追い込みに入った夜10時すぎ、その新聞の関西方面の支局から電話が入った。若い記者だった。当該事件の評価だけでなく、その背景や関連する問題なども詳しく解説した。その直後、今度は大阪本社社会部の記者から電話が入った。原稿の結論部分を書きはじめたところだったので、ちょっと痛い中断だった。同じ新聞社だがら、支局と本社社会部で連携プレーがあると思うのは甘い。記者は職人だから、取材対象に電話をかける時は「自分」しかいない。そこがわかっているから、「先ほど、支局の方にお話したのですけど」とちょっと厭味を言ってから、繰り返しもいとわずに丁寧に質問に答えた。その10分後、やっと執筆がのってきたところに、同じ記者からまた電話が入った。私の体験を記事にしたいというのだ。背景説明だけのつもりで話したのにと思い、渋々OKを出す。「11時30分にファックスするからチェックをお願いします」。書斎を出るに出られず、原稿にも復帰できない状態でいると、20分ほどしてまた電話。「台風11号が接近しているので、その関係で記事のスペースがなくなりました」。記者本人からすれば、1時間ほどの間に3回電話をかけただけの取材である。たまたま紙面調整で記事にならなかった。それだけの話だ。ところが、取材される側は突然の電話で仕事を中断され、さらに記事にするということで「気持ちの拘束」を受けたわけだ。影響は翌日にまで及ぶ。しかも、記者本人には気の毒だが、「また大阪本社か」という私の個人的事情もあったので、「台風」を理由にした撤退に気分は最悪だった。新米記者でもあるまいにと思い、「何年生ですか」と失礼な質問をする。意外なことに、ベテラン記者だった。名前をYahoo!でサーチすると、けっこうヒットした。アメリカ取材をしたりして、なかなかいい仕事をしている。その事件も、いいネタを拾ってきたと、実は感心していたのだった。

  翌日の紙面を見ると、一面肩ではあるが、スクープだった(東京14版、出稿は大阪)。舞鶴港に米駆逐艦が入港した際、現地警察署が、政党や労組による入港反対運動のデータを米側に通報したという事実を、米情報公開法に基づく公開資料で明らかにしたものだ。私は記者に、これは現地警察がたまたまやったケースではないこと、米軍基地周辺警備に関して、特に湾岸戦争以降、国のレヴェルで密度の濃い協力が行われているので、そこを調べた方がいい、とアドバイスした。都道府県警察本部の警備(公安)部は、当該警察本部の本部長よりも、東京の警察庁警備局長との関係が強い。警備・公安部門に関する限り、日本の警察は「国家警察」そのものである。警視庁公安部の、全国を股にかけた「活躍」はオウム事件で有名になったが、その人数や活動状況はベールに包まれている。東京都議会の警察・消防委員会でも、警視庁公安部の活動の全貌をつかむことはできない。舞鶴のケースも、全国的な米軍基地関係の警備協力の一環と見るのが自然である。だから、地公法の守秘義務違反のような「せこい」ところで問題にするのではなく、表現の自由に基づく市民の正当な抗議行動を監視して、その情報を米側に伝えることを、警察庁警備局長への取材も交えて、より構造的に問題にすべきだと指摘した。だが、この指摘は記事には反映しなかった。東京・大阪の連携プレーで、警察庁取材を踏まえた内容にすれば、より広がりのある記事になったのに、と残念でならない。ところで、台風が来なければ載っていた私の体験談とは、こういうことだ。詳しく書き残しておこう。

ベルリンに在外研究で出発する直前の、1991年1月11日(金)。たまたま訪ねてきた地方紙(中部地方の新聞)の記者を案内して、山口県の米軍岩国基地に向かった。岩国の第12海兵航空群が湾岸に展開しているとの情報をつかんだからだ。岩国基地にはゼミ学生(広島大)と何度か行っているので、走りなれた道を抜け、基地の海側のギリギリの線まで記者の車で入った。海自第31航空群の救難ヘリが1機旋回するだけで、米軍機は1機もいない。のどかな風景だった。その6日後、湾岸戦争が始まった。岩国のFA18ホーネットやEA6Bプラウラー電子戦機がイラクの対空施設を攻撃したことは、その後わかったことである。さて、その地方紙の記者が言うには、家に戻ってしばらくすると、県警の公安刑事がやってきて、「あんた、岩国基地の周辺で何をやってたの。一緒にいた人は誰?」と質問してきたそうだ。「私は新聞記者だよ。そんなこと言うわけないでしょう」と応答すると、「そうだな」と言って帰っていったという。岩国基地周辺は湾岸戦争に備えて警戒態勢になっており、接近する車や人はすべてチェックされていたわけだ。ナンバープレートから持ち主を割り出し、当該県の警備部に連絡する。山口県とその県とはかなり離れている。やはり、警察庁警備局が仕切る全国的なシフトと見るのが自然だろう。舞鶴の事件も、こうした流れのなかで位置づけることができる。それゆえ、問題はより深刻である。