「10人の無辜を処罰しても、1人のテロリストを逃すなかれ」  2001年10月22日

多忙で、ゆっくり原稿を書く時間がさらに制約されているため、今週も既発表の小論の転載でお許しを願いたい。『中国新聞』10月18日付文化面に書いたもので、同紙が付 けた主見出しは「米国の軍事報復 安全優先、自由しぼむ」。先々週この欄に転載した『沖縄タイムス』文化面の拙稿と内容的に重複する部分もあるが、軍事報復とテロ対策がその国の自由と民主主義のありように対してどのような影響を及ぼすかという問題は、これから重要性を増してくるので、早めに警鐘をならしておきたいと思う。

  中国の古典『易経』に、「乱の生ずる所は、則ち言語を以て階をなす」とある。重大事態が起きて人々が混乱の極致にあるとき、人の上に立つ者、とりわけ政治家は、言葉を慎重に選ばなければならない。
  「21世紀最初の戦争」「十字軍」「限りなき正義」(9月25日までの作戦名)等々。同時多発テロ直後からブッシュ大統領の口から飛び出す言葉は、感情丸出しの浮ついたもので、その一言一言が問題解決を一層困難にしている。
 テロは重大な犯罪行為である。だが、それは国家間の戦争とは区別されなければならない。現在の国際法秩序のもとでは、軍事報復(武力復仇)は許されない。自衛権行使もきわめて限定された場面でしか認められない。だがブッシュ政権は、自衛権の強引な拡張解釈によって、テロとのたたかいを軍事報復に一面化した。ここにブッシュ政権の歴史的誤りがある。さらにブッシュは、反テロ「十字軍」という言葉を使ってしまった。この春ローマ法王が、900年前の十字軍遠征について、ユダヤ教やイスラム教の指導者に謝罪したばかりだというのに。まさに最悪のタイミングである。
  とどめは、イスラム圏でアラーの神を意味するところの「限りなき正義」を作戦名に選び、すぐに撤回したこと。これでは、テロをなくすため、イスラム諸国も含め国際社会が一致団結するのを故意に妨げているとしか思えない。
  大量の犠牲者を出したこともあり、米国の軍事行動を非難する国は少ない。だが、英国や日本などを除けば、米国の傲慢・強引な軍事報復行動を心から支持する国は決して多くはない。

  「答えは? 憎悪でも復仇でもなく 冷静な理性によってのみ、反テロ連合は『文化の闘争』と世界経済危機を回避できる」。これは、ヘルムート・シュミット西ドイツ元首相が高級週刊紙「ディ・ツァイト」(9月27日付) に寄せた論文のタイトルである。シュミットは、ドイツ赤軍派(RAF) によるテロ事件が続発した1977年当時、首相としてテロ対策を陣頭指揮した体験をもつ。そこでの教訓は、自己の感情を抑制し、冷静で実際的な目的合理性をもって行動すること。そのためには、緊張感をもった、真剣な忍耐が必要であり、世論をヒステリーから守らねばならないと説く。シュミットは、テロとのたたかいのなかで、基本法(憲法)が守られるべきこと、基本権や人権が効力を持ち続けることも強調する。この視点はいま特に重要である。
  9月11日以降、米国を支持する諸国は、いつ起こるともわからないテロに対して、極度の緊張状態にある。一般に反テロ対策が強化されると、憲法上の人権が侵害される傾向は強まる。こうした傾向は、米国をはじめ先進諸国で共通に確認できる。たとえば米国では、盗聴強化や移民の検束などの動きがある。英国、フランスでも同様である。
  ドイツで反テロ対策の先頭に立っているのがオットー・シリー内相である。彼はシュミット首相当時、赤軍派の弁護人を務め、当時の反テロ立法に強行に反対した人物である。4分の1世紀が経過し、元赤軍派弁護士が警察トップとして、反テロ対策強化の先頭に立つ。歴史の皮肉ではある。
  シリー内相は、盗聴の強化や外国人の入国規制、公安・情報機関と警察との連携強化を推進している。身分証明書やパスポートに指紋を入れることや、外国テロ組織の宣伝をしただけで処罰できるように刑法の改正も準備中という。
 政府だけでなく、市民のなかにも「安全」思考が強まっている。「自由」と「安全」が対立するなら、「安全」を選ぶ。各国の市民はいま、「自由」の縮減を甘受することも辞さないという構えのようである。だが、これでいいのだろうか。
 英国の法諺に、「10人の罪人を逃しても、1人の無辜〔無実の人〕を処罰することなかれ」というのがある。英国を含め、過剰なテロ対策は、あたかも「10人の無辜を処罰しても、1人のテロリストを逃すことなかれ」といわんばかりの勢いである。長い目で見れば、こうした動きは、テロそのものよりも、実ははるかに深刻な問題を市民社会に投げかけているように思われる。

(『中国新聞』2001年10月18日付)

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