雑談(13)水のいのち  2001年11月19日

刻みの仕事に追われるなか、魂を洗われるような体験をした。札幌講演(10月26日)の翌日、予定がキャンセルされたため、帰りの便まで7時間ほど余裕ができた。天気予報では雨。だが、朝から快晴である。学生時代からの親友で、札幌在住のSに電話する。「おい水島、カヌーで余市川を下ってみないか」。ゆっくり昼食をとることくらいしか考えていなかった私は、あまりに唐突な提案に言葉を失った。「命綱もあるし、装備は全部揃っている」。私の気持ちは決まった。Sのワゴン車で余市に向 かう。札樽自動車道と国道5号線。小樽市内を通過。12年前まで6年間北海道に住んでいた頃の、家族と走りなれたコースである。

  余市に着き、Sの従兄弟の家で着替えをする。ヘルメットをかぶり、ゴム製のつりズボンをはく。従兄弟のワゴン車を余市川の下流に駐車。2艘のカヌーをSの車に積み込み、仁木町経由で上流に向かう。Sのカヌーは、コロラド川下りに使った、二人乗りのすぐれもの。手押しポンプで空気を入れて膨らませる。オールの使い方を習い、川に漕ぎだす。
  何という爽快感。体がスーッと流れにのっていく。水面をかく手応えが何ともいえない。従兄弟のカヌーは一人乗り。つい1月ほど前にSが手ほどきをしたら、その日に購入を決めたという。Sは私に気をつかいながら、後ろから来る従兄弟にも声をかける。みるみる水面が波立ってくる。急流が近い。Sが叫ぶ。「本流を狙え!」。白く泡立つ流れの一番真ん中に突っ込む。体が宙に浮くも、オールで波をかくと確実な手応え。一気に難所を抜けた。しばし凪(なぎ)のような状態が続いたため、オールの手を休める。カヌーはスーッと流れにまかせて下っていく。目をつぶると、耳には川の音だけが心地よく響く。透明な水面。そこに渓谷の紅葉が鏡のような水面に映る。
  雲一つない青空。斜め前方の空には、悠然と飛ぶ大鷹の姿。あまりの美しさに、しばし我を忘れた。

  ゆったりとした流れに身をまかせていると、Sが叫んだ。「鮭だ」。1匹、2匹……。シューッ、シューッと鮭が遡上していく。川のあちこちで、鮭が跳ねる水しぶきが。感激である。生まれて初めて、こんな近くで鮭の遡上を見た。遡るときに岩に体を削られ、鱗がはがれている姿が痛々しい。日本海から石狩湾に入り、ここまで遡上してきたのだ。
  どのくらい川のなかの鮭に見とれていただろう。突然、カヌーが浅瀬で動けなくなった。とその時、カヌーをプツプツと突く音がする。周囲を見ると、数十匹の鮭がいる。思わず声をあげた。鮭の産卵の場所に入ってしまったのだ。産卵と受精に集中する鮭は逃げない。彼らにぶつからないよう、慎重にオールを使い、深みにカヌーを移動する。カヌーがフッと水に浮いた時、プーンと腐臭が鼻をついた。川底をみると、たくさんの鮭が折り重なるように死んでいる。鱗が剥がれ、体が白くなっているものも多い。新しい命を自らの屍肉で汚さないよう、産卵場所から必死にはいだし、深みで命を終えたのだろう。なぜかわからないが、不意に涙が溢れてきた。後部のSも無言だった。

  鮭は川で生まれる。春、稚魚は川を下る。3〜6年の「見えない時間」が鮭を育て、長い旅をへて、生まれ故郷の川に戻ってくる。産卵と受精のために。子孫維持の崇高な務めを果たした鮭は、その場で命を終える。その時、私の頭のなかでは、高田三郎の合唱組曲「水のいのち」、その第3曲「川」のフレーズがグルグルまわっていた。「何故、さかのぼれないのか? 何故、低い方へ?」
  豊かな、透き通った水をたたえた川。よどむ淵も、渦も。川がこがれているのは山であり、切り立つ峰であり、その彼方の青い空。川底の石も水の流れによって上流へと転がり、魚も力強く水中を遡っていく。それら、川上へのぼろうとするものすべてを身ごもっている川が何であるかと尋ねる必要はもうない。それは私たち自身なのだと、この曲はいう。
  カヌーが下流に近づくにつれ、海の香がする。海鳥たちの姿も見える。再び「水のいのち」。第5曲「海よ」。ありとあらゆる芥(あくた)、よごれ、疲れはてた水、すべてを受け容れて、つねに新しくよみがえる海の不可思議。うまず繰り返す無限の海、その海の中の光るものを求めて、私たちは海の月(くらげ)、海の星(ひとで)、真珠を抱くあこや貝、そして暗い深海のプランクトンの死骸の堆積によってできた真白のマリンスノーの立ち昇りに出会う。たえまない始まりである海は、空の高みへの始まりなのだ。のぼれ、のぼりゆけ。「水のこがれ、水のいのちよ」。作曲者によれば、「水のいのち」とは、"The Life of Water"ではなく、"The Soul of Water"のことである。だから、「川」は「空にこがれるいのち」なのであって、それはまた、私たちの「いのち」でもある(高田三郎『来し方回想の記』音楽之友社より)。

  北海道内のあまたの川を下ったSも、余市に生まれ育った従兄弟も、鮭の産卵を間近に見たのは初めてという。「雨が降ると思ったのに、快晴。しかも鮭まで見られたしなあ」とS。「お前のおかげで、命の洗濯ができた。ありがとう」。自然がくれた、宝石のような貴重な時間。そのいとおしさを胸に、空港に向かった。

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