本人も失念…中曽根憲法私案(記者席)
 朝日新聞1997年08月23日

 「内容からすると、自分の書いたものだろうと思うが……」。中曽根康弘元首相は当初、半信半疑だった。「三十六年ぶりに公表」と月刊誌「正論」に発表された中曽根氏の「憲法私案」が世に出たきっかけは、実は、朝日新聞の憲法記念日特集の取材で出くわした古めかしい文書の束だった。中曽根氏に確認したところ、事務所に保存してある文書の中からも同じものが出てきた。中曽根氏は、それを月刊誌に持ち込んだようだ。
 資料の発見者は、早稲田大学の水島朝穂教授(憲法学)。10年ほど前、古書展示会のカタログで見つけた。価格は8000円ほどだったと記憶している。専門の論文などには引用したことはあるが、広く一般に知られることはなかった。

 改憲論者で知られる中曽根氏自身も論文の存在を忘れていたとは、意外な気がする。その事情を水島教授は次のように推測する。
 「中曽根氏は私案執筆当時は少数派閥に属し、首相の芽はあまりなかった。ところが、首相になると、大きな反発を招きかねない改憲論については在任中はつとめて触れないようにした。都合の悪いものとして、その時に忘れたということなのでしょうか」

 時代は巡り、憲法をめぐる議論が、いままた噴出している。若きナショナリスト時代の「忘れていた文書」が、絶妙のタイミングで発掘される。こうした運のよさ、これを活用するしたたかさが、いまなお「保保」派の黒幕たらんとする中曽根氏の真骨頂だろうか。(三浦俊章)