緊急直言 バブル総理の「ちょこっと改憲」論  2001年5月1日

月28日をはさんで3日間、沖縄に滞在。名護市と那覇市で講演した。海上ヘリ基地建設をめぐる名護住民投票から4年。いま、基地建設に向けた動きが進んでいるが、それにノーを表明した住民投票の意義は失われていない。私の主張は、97年11月〜12月の直言バックナンバーや、NHKラジオ「新聞を読んで」(97年11月30日)を参照されたい。ところで、私と1日違いで橋本元首相や鈴木宗男氏らが大挙して名護に入り、小渕元首相の銅像除幕式をやったそうだ。住民投票に向けて、公共工事や補助金を餌にした政治的利害誘導を展開したのは、思えばこの面々だった。当時沖縄開発庁長官として、その野卑で無頓着な発言がしばしば県民・市民の怒りをかった鈴木氏は、「お元気であれば今も首相だった」と、銅像の前で涙したという(『朝日』4月30日付)。これは総裁選で、彼らの伝統的政治手法(旧田中派・経世会型)だけでは勝てなかったことへの悔し涙でもあったろう。

自民党旧人類が名護で涙をしぼっている頃、東京では、小泉首相に対する世論調査の結果が続々と発表されていた。支持率87%(『読売』4月29日付)、85%(『毎日』4月30日)、78%(『朝日』同)。あの肥後54万石の殿様首相のときは70%台だったから、80%前後の支持率は歴代最高である。だが、この数字は完全なバブルである。あえて言えば「ダイエット太り」。無理なダイエットをして栄養のバランスを崩した人が、一気に食べて太ってしまったのと同じである。「首相をやっていたあの男」の在任1年の「政治の喪失」がいかに巨大だったか。世論のフラストレーションがたまりにたまった結果、小泉氏のパフォーマンスに対して、期待と関心が方向性も内容も伴わぬまま一気に高まったものである。小泉内閣誕生により、YKKは死語と化した。「KTI時代」の始まりである。Tは父親ゆずりのカリスマ性、ドスの効いただみ声、メリハリの効いた天才的パフォーマンスによって、父親が作った派閥の呪縛を粉砕した。Iはまずは息子を閣内に入れて布石を作った。都知事の「分身」が行革担当相というのは象徴的である(もちろん、自民若手の取り込みという面もある)。このKTIは手ごわい。国民に直に訴えて、従来の慣習やら段取りやらを吹き飛ばして、あれよあれよという間にことが進んでいく可能性がある。国民はこれに喝采を送る。わかりやすく、迅速だから。しかし、方向性と内容抜きの「とにかく改革」は危ない。誰にとって、どのような改革なのかを慎重に見極めないと、市民は自分で自分の首を締めることになりかねない。首相公選に絞った改憲、「ちょこっと改憲」もそうしたタクティックスのなせる技である。首相公選論については重要な論点なので、回を改めて詳論するが、これが9条改正に連動する変化球となることは明らかだ。この首相公選のための「ちょこっと改憲」への支持率が70%もある(30日テレビ朝日・ニュースステーション調査) 。国民の期待と関心が最も高い内閣であるがゆえに、またかつてない話題性と「ワイドショー政治」的特質を持つがゆえに、この内閣は最も危険な内閣になる可能性がある。この緊急直言は、「KTI内閣」への「宣戦布告」でもある。