『週刊金曜日』380号(2001年9月21日)

「ブッシュの戦争」に参加してはならない
                                   水島朝穂


  筆者の大学の男子学生も、ハイジャック機に乗っていた。国内便を使い一人旅をする、好奇心あふれる若者の運命を変えた者たちへの怒りは深い。しかも、民間機を「人間爆弾」に仕立てた無差別大量殺戮である。
  世界貿易センターには、先進国だけでなく、世界の企業・団体のオフィスがある。そこで働く人々の国籍も多彩である。メディアの関心は日本人の行方不明者に集中するが、AFP通信(9月16日時点)のリストを見ると、行方不明者は、米国以外では、ドイツ(700人以上、『朝日新聞』17日夕刊では270人)を筆頭に、少なくとも42カ国(同・48カ国・地域)におよぶ。コロンビア(195人)やフィリピン(117人)、バングラデシュ(50人)、カンボジア(20人)といった途上国の人々も含まれている。ヒンズー教徒もイスラム教徒もいる。
  これは単なる反米テロではない。世界の市民が犠牲になったのである。かかる無差別テロを計画・準備・実行した者は、法の手続に従い、厳正に処罰されなければならない。このことを冒頭に確認しておきたい。

●「国際平和デー」に「21世紀最初の戦争」

  9月11日、国連の「国際平和デー」。ニューヨークの国連本部ビルでは、国連総会が予定されていた。国連本部ビルからロウアー・マンハッタンの世界貿易センターまで、直線で6キロの距離である。前日夕刻、国連のアナン事務総長は、次のような声明を出した。 「国際平和デーに私たちは、私たちが知っている世界とはかなり異なる世界のことを心に描こうとしている。戦争をしている者たちが武器を置いて、意見の違いを話し合いで解決する世界を心に描いている。すべての政府が民衆の意思に従い、行動する世界を心に描いている。紛争の本来的な原因である貧困、周辺化そして貪欲さが、発展と正義の前に服する世界を描いている」。
  翌朝、「私たちが知っている世界とはかなり異なる世界」という言葉だけが現実のものとなった。そして、各国代表が次々に演壇に立ち、それぞれの平和論を語っていたはずの時間に、ブッシュ大統領の口から飛び出した言葉は、「21世紀最初の戦争」だった。
 このような悲劇を招いた背景はさまざまあるだろう。その重要な原因の一つに、ブッシュ政権の「力の突出」政策があることを指摘しておかなければならない。
  地球温暖化防止の京都議定書からの一方的離脱や、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約からの離脱を表明。さらに中東和平合意に冷淡な一方で、イスラエル強硬はシャロン政権のテコ入れをはかるなど、ブッシュ政権になって、国際的孤立と「力の突出」が目立った。アラブ世界や途上国に増大する反米パワーを「栄養」にして、今回のテロを準備した人々は決行のタイミングを狙っていた。まさに「挑戦招いた『力』の突出」(『毎日新聞』9月13日付)といえるだろう。
  フロリダ州パームビーチ郡の票の再集計により辛うじて大統領になったブッシュ・ジュニアは、事前にテロ警告がなされていたにもかかわらず、「その時」をフロリダ州の小学校で過ごしていた。またもフロリダ。立ち上がりの劣勢を挽回せんと、その後のブッシュ大統領の「反撃」は凄まじかった。眼が座った状態で、ひたすら「軍事報復」を叫ぶ。父親の時代の軍トップ・統合参謀本部議長を国務長官(外相)に据えたことが「奏功」し、今や外交・軍事の両面を元陸軍大将が仕切っている。
  まだ確定的なことはいえないが、テロ集団が決行の日に選んだのが国連「国際平和デー」だったことから推察すると、「パックス・アメリカーナ」(米国の平和)を串刺しにして、「パックス・UN」(国連の平和)に対する挑戦をも含意しているかもしれない。昨年の「反グローバルデモ」一周年を記念して、西欧の運動との連携を狙ったという見方もある。それだけに、今回のテロには、世界に存在する深刻な対立が複雑に反映している。それゆえに、米国の「報復一直線」の路線はきわめて危険であり、報復の連鎖を生む「新世界無秩序」への扉を開けることにもなりかねない。

●国際法秩序は武力復仇を禁止

  さて、ブッシュ政権が進める「軍事報復」の論理について考えてみよう。本稿が出る頃には、すでに軍事行動が始まっている可能性が高いが、メディアがあまりに無批判に「報復」という言葉を繰り返し使うので、あえてここで指摘しておきたい。
  国際法秩序において、武力復仇は禁止されてきた。不戦条約(1928年)を経由して、国連憲章(1945年)によって戦争違法化の枠組がつくられた。憲章は国際紛争の平和的解決を義務づけ(2条3項)、武力行使・威嚇を一般的に禁止した(2 条4項)。その例外は、国連による軍事的強制措置(7章)と個別的・集団的自衛権(51条)である。先制自衛や武力復仇を認めないのが、国際法の世界の大勢といえる。1970年に国連総会で採択された「友好関係原則宣言」(決議2625)によれば、「国家は、武力行使を伴う復仇を慎む義務を有する」のである。
  だが現実には、米国とイスラエルが報復爆撃や攻撃を繰り返してきた。その際の正当化の論理が個別的自衛権である。
  例えば、クリントン政権は、98年8月、アフガニスタンの「タリバーン支配地域」とスーダンの「化学兵器製造工場」を巡航ミサイルで攻撃したが、これは、ケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破事件に対する「報復爆撃」とされた。その際、クリントンは、個別的自衛権でこれを正当化した。従来から米国は自衛権について、いわゆる非制限説に立ち、憲章51条の「武力攻撃が発生した場合」という要件などに縛られないことを表明しており、その強引な主張には批判も多い。
  ところで、国連憲章の「武力攻撃」にテロ行為は含まれるか。憲章が国家(正規軍)による攻撃を想定していることは明らかである。ただ、個々のテロ行為は小規模でも、反復継続して行われた結果、国家(軍隊)による「武力攻撃」と同程度の効果を生むと認められる場合には、それを「武力攻撃」と認め、自衛権の発動を認容する説もある。これを「事態の累積理論」という。イスラエルの報復を正当化するために生み出された説とされる(宮内靖彦「国際テロ行為に対する報復爆撃の問題提起」国学院法学38巻1号、参照)。
  ただ、個々の集団がテロ行為を何度繰り返しても、それだけで国家の「武力攻撃」と同視することはできない。何らかの形での「国家の関与」が必要となる。関与の程度の大きいものから、直接的関与〔(1)後援、(2) 支援〕と間接的関与〔(3) 許容、(4) 能力の欠如〕の4段階がある。このうち(3) は、支援はしないが、抑止する行動をとらない国を指し、(4)は軍隊・警察の力が不十分で、国内のテロリストに十分対応できていない国を指す(宮内前掲参照)。ビンラディン氏とアフガニスタンの関係がどれにあたるかは微妙である。パウエル国務長官は、国内でテロリストの活動を放任している国も、報復攻撃の対象となるかのようにいって、関係諸国を恫喝している。
  いま米国が行おうとしている「軍事報復」を自衛権で裏づけるためには、テロリストに対する「国家の関与」の説明が重要だが、ブッシュ政権は、世論の圧倒的な支持を背景に、禁止された武力復仇に踏み込むような勢いである。
  NATOもポスト冷戦仕様にヴァージョン・アップして、これに参加しようとしている。ただ、米国の軍事行動に参加するには、「同盟事態」(NATO条約5条)の確定が必要である。加盟国内では、オランダやベルギーなどが現時点での参加に慎重な姿勢を見せている。
  日本では、小泉首相が当初、「全面的な協力」をフライングぎみに発言したが、最近では「憲法の範囲内」での協力をいうようになった。ただ、この機会に自衛隊法や周辺事態法の「不備」を一気に解消しようとする動きも無視できない。沖縄や佐世保、厚木など、全国各地の米軍基地の動きも慌ただしくなった。
  報復がなされれば、日本もテロ対象になる。それは米軍基地があるからだ。基地の存在は、日本の安全にとってむしろ脅威になることを、この事件は逆説的に示すことになろう。 日本は「ブッシュの戦争」に参加してはならない。ブッシュ大統領は、テロに対して「十字軍」を行うと明言した。最悪の言葉だ。ローマ法王が今年春、イスラム指導者も同席するなか、十字軍遠征を謝罪したばかりというのに。イスラム世界全体を敵にまわす煽動に乗ってはならない。
  日本国憲法は、あらゆる戦争、武力行使・威嚇を否定するだけではない(9条)。ある国が日本に対して敵対的な態度をとったとしても、その国の人民を含む「平和を愛する諸国民」(前文)との連帯・連携により安全を確保することを求めている。これは、非国家的なテロ組織に対しても応用可能だ。日本は、あらゆるチャンネルをいかして、イスラム諸国を含む世界の平和を求める勢力との連携を追求すべきなのである。

●憎悪の再生産を防ぐために

  では、国際テロにどう対処したらいいか。ドイツの国際政治学者E・O・チェンピールは、今回の「同時多発テロ」に関連してこういう。
  「テロは第三世界の搾取に経済的原因をもつ。経済はグローバル化したが、政治はローカル化した。今、グローバル化が政治に跳ね返っているのだ」(die tageszeitung vom 14.9.2001)。チェンピールは、「〔テロからの〕安全を生み出すのは装甲車や防空ミサイルではなく、〔富の〕再分配である。〔途上国への〕開発援助だけが安全を生み出しうる」という。もちろん、国際的な世論の圧力のもと、テロの実行犯を処罰することは当然だが、それだけでは終わらない。テロの問題は経済・社会問題であるという指摘は重要である。アラブ内部のテロ批判勢力と連携し、テロを許さない世論を強化するとともに、テロの基盤(貧困・差別など)をなくしていく。こういうテロ集団を干乾しにしていく道こそ、テロをなくす着実な道だろう。
  この点で、パキスタンに脱出した国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)カブール事務所長の山本芳幸氏の話は興味深い。氏によると、タリバンのなかにも穏健派が存在し、彼らは「ビンラディンと手を切れ」と主張してきた。国連の制裁が強まるなか勢力バランスが崩れ、ビンラディン氏らアラブ人の影響を受けた強硬派支配が確立し、タリバンの「アラブ化」が進んだ。そうしたなかで報復攻撃をすれば、内乱になる可能性があると警告しつつ、氏はこういう。「タリバンと米国は共通している。自分の世界にこそ真理があると信じ込み、外部との融和の道を閉ざしている。今回のようなテロは、集団に深い憎悪の蓄積がないとできないはずだ。米国は憎悪を生んだ源泉を見つめるべきなのに、対立姿勢を強めている」(『毎日』9月16日付)。重要な視点である。
  ブッシュ政権の武力行使決議に対して、上下両院を通じて唯一反対票を投じたバーバラ・リー議員(民主党・55歳・カルフォルニア州第9 選挙区)は、「どんなにこの投票が困難でも、私たちの誰かが抑制力を利かさねばならない」と述べ、一歩引いて慎重に考えることを求めた。
テロの連鎖を防ぐためにも、憎悪の再生産だけは防がねばならない。

(9月17日脱稿)