わが歴史グッズの話(6) 2002年6月10日

月にアフガニスタンの首都カブールから届いた「とっておきのグッズ」を紹介しよう。水島研究室所蔵の「大戦グッズ」「冷戦グッズ」「ポスト冷戦グッズ」のなかでも、ベスト3に入れたいものだ。イスラマバードのアフガン難民キャンプで売られていた「ラクダのぬいぐるみ」についてはすでに書いた。今回のものは「コンヴァージョン(軍民転換)」を象徴する玩具である。まず現物を見ていただきたい。挽き肉をつくるミンチ器の上に、各種の武器が突っ込んである。よく見ると、AK47小銃と対戦車ロケットRPG7(「不審船」から海保巡視船に向けて発射されたとされるもの)などが入っている。ハンドルを回すと、鉛筆やショベル、本や薬、小麦粉の袋などに変わって出てくるというイメージだ。これを作っている少年の姿を撮影した写真も同封されていた。箱には「アシアナから――2002年カブール」とある。「アシアナ」とは現地語で「巣」という意味。NGOが設立した、学校に行けない子どもたちのための職業訓練施設のことである。この少年もストリート・チルドレンである。学校に行きたくても行けない少年の気持ちは、鉛筆の数の多さにあらわれている。これを眺めていると、胸がジーンとしてくる。見落とせないのは、武器が精密に描かれていること。それだけ、子どもたちの周囲には武器がたくさんあったということだ。なお、この玩具と一緒に、アフガン製じゅうたんも届いた。カブールの市場で売られていたもので、旧ソ連製兵器がびっしりと縫い込まれている。この国がこれら兵器によって、どれだけの悲惨を味わったか。これを送ってくれた方は、戦争の傷痕をじゅうたんの模様にしてしまう商魂の逞しさに驚いたという。一方、アシアナの少年の場合、兵器を精密に描きながらも、それをミンチ器で平和的なものに変えてしまおうという気持ちが出ている。私はこれを見て、『あたらしい憲法のはなし』のなかの一枚の絵を思い出した。日本国憲法施行の3カ月後、文部省(当時)が中学1年生向け社会科用教科書として出した小冊子である。この絵には、兵器が炉で溶かされ、消防車や電車に変えられて出てくる様子が描かれている。「コンヴァージョン」(軍民転換)である。戦争が終わって2年という時点では、平和を求める強い気持ちが文部省の人々にもあったのだ。アフガンの子どもが作った木製玩具と、『あたらしい憲法のはなし』の絵には、平和を具体的に求めるという点で共通性がある。まもなく戦後57年。いま、日本の政府や市民に一番欠けているのは、平和へのイマジネーションではないだろうか。ちょっとしたトラブルがあると、すぐに力による対応に気持ちが傾く。「有事法制」もまた、国家中心・武力優先思考のあらわれと言えよう。アフガンの少年が作った木製玩具を見ていると、ややもすると忘れがちな平和の原点が見えてくる。

 最後に、『あたらしい憲法のはなし』の、この絵が載っている部分を引用しよう。

 「……こんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍隊も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。『放棄』とは、『すててしまう』ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、自分の国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです」。

 日本はいま、「国の力で、相手をおどすようなこと」に踏み出そうとしているのではないか。