朝日新聞2002年2月27日朝刊

鎌田定夫氏が死去 長崎平和研究所、私財で創設 
      
 私財を投じてNGO「長崎平和研究所」を創設し、反核平和活動の理論的支柱として活躍した鎌田定夫(かまた・さだお)氏が26日、消化管出血のため長崎市の病院で死去した。72歳だった。通夜は27日午後7時、葬儀は28日正午から同市光町16の18の平安社長崎斎場で。喪主は妻信子さん。自宅は同市春日町136。
 宮崎県都城市出身。九州大文学部卒業後、「健康、生活の両面において、国民一般と被爆者との間にはいちじるしい格差はない」とした旧厚生省の原爆白書(67年)に反対し、「長崎の証言の会」を設立。被爆者の実態調査や証言記録の収集、語り部活動の支援などに取り組んだ。
 長崎総合科学大教授を経て97年に長崎平和研究所を創設。最近は、米政府の核政策やアフガニスタン空爆、自衛隊艦船の海外派遣に反対を表明。入退院を繰り返しながら、街頭宣伝や執筆活動を続けていた。

 <土山秀夫・元長崎大学長の話> ブッシュ米政権の強硬な核政策など、核兵器廃絶への動きが大きな曲がり角に来ているだけに、痛恨だ。被爆者でも長崎出身でもないのに、これほどまで被爆者運動に力を入れてきたことは尊敬に値する。特に被爆者の体験の聞き取りを地道に続けたことは大きな功績だ。