早大教授・水島朝穂氏(私の有事法制論 国会審議を前に)朝日新聞2002年04月18日 政治面  

――政府が有事法制関連3法案を国会に提出しました。
 武力攻撃事態だけが対象となっており、冷戦時代の積み残しの在庫一掃型有事法制だ。冷戦下では、ソ連の侵攻が想定されていたが、今は米国の介入の結果、日本が巻き込まれる形で攻撃を受ける可能性の方が高い。「防衛型」有事法制から「介入型」有事法制への転換とも言える。米軍が「ならず者国家」や「悪の枢軸」を攻撃し、日本が後方支援すれば、当然反撃を受ける。この時期に、冷戦時代の遺物のような法律をつくるのは、歴史の流れに逆行している。  

○本音は「緊急権」
 ――テロや不審船対策を後回しにしたとの批判があります。
 日本は自衛隊・警察・海上保安庁という国家の実力装置を統合運用できずにきた。今回は武力攻撃事態だが、政府の本音は、柔軟な緊急事態法制をこの国に完 成させたいということだろう。しかし、緊急時に国のトップに特別の権限を与える国家緊急権は、どこの国でも憲法に書いてある。日本国憲法に規定がないのは、 国家緊急権を否定しているからだ。立憲主義の原則に立てば、首相の権限強化が 必要なら正面から憲法改正を提起すべきだ。
 しかも、日本で一番、リアリティーがある緊急事態は災害だ。富士山の噴火、大規模地震、台風もある。これに対しては、災害対策基本法で、非常災害対策本 部、緊急災害対策本部など、事態に応じた対応措置が決められている。治安に関しても、警察法は、首相が緊急事態を布告し、全国の警察を統合運用する権限を認めている。日本に非常事態への備えがないというのは、「ためにする」批判だ。ただ、戦争を想定して軍事力を動かすことは憲法9条に違反するので、軍事的な緊急事態を否定してきただけだ。

――武力攻撃事態法案は、権利の制限を最小限にするなどの基本理念を定めていますが、歯止めになりませんか。
 「理念」の順番が問題だ。最初に挙げたのが「武力攻撃事態の発生回避努力」 ではなく、「地方公共団体と指定公共機関の措置」であり「国民の協力」だ。国家的な防衛目的に向け、自治体、公共機関、国民を初めて一元的に管理しようという狙いが透けて見える。

――武力攻撃事態の定義が不明確だとの指摘があります。
 「武力攻撃が予測されるに至った事態」というのは、「防衛出動待機命令」の要件を定めた自衛隊法77条の表現を援用したものだ。待機命令とは、自衛隊員を駐屯地に留め置く禁足令。この段階まで有事の概念を広げ、国民の権利を制限することは許されない。自衛隊法には、医療、建築、輸送業者らに対する業務従事命令の規定があるが、これも防衛出動が出て初めて適用されるものだ。

 ○国会関与は後退
――国会の関与のあり方はどうですか。
 防衛出動は原則事前承認だが、対処基本方針は閣議決定後の事後承認。しかも、対処措置を実施した後でも構わないというのだから、国会関与の後退だ。注目したいのは、不承認の議決があった時の対応。防衛出動した自衛隊は「直ちに」撤収だが、基本方針に基づく対処措置は「速やかに」終了となっている。法律用語では「速やかに」は「直ちに」より遅い。
 周辺事態法では、米軍という協力の相手がいるので「直ちに」撤収はできない と、「速やかに」と後退させた。今回もその表現を踏襲した。「不承認なんてとんでもない」という官僚の気持ちの表れだ。  

――地方自治体との関係も焦点のひとつです。
 知事の頭越しに首相が仕切れる仕組みを設けたが現場の判断の方が正しい場合もあるだろう。むしろ、現場を知らない中央官僚に任せると、間違う可能性が高 い。安全保障も地方分権の時代だ。  

――与党との協議で「国民の協力」が加わりました。
 「平和ボケ」した国民に国家への忠誠義務を押しつけようというんでしょうか。 阪神大震災のボランティアを見たらわかるが、本当の意味で国民が安全を守る主体になった時、無力ではない。政府は国民を協力させる客体としか考えていない。

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みずしま・あさほ
 専門は憲法学、軍事法。著書に「武力なき平和」「現代軍事法制の研究」「ベルリン・ヒロシマ通り」など。49歳。

 <国家緊急権> 国家が戦争、内乱、大規模災害などの非常事態に際し、政府に強大な権限を集中したり、国民の自由や権利を一時停止したりする権利。大日本帝国憲法は、天皇が戒厳令を布告したり、戦時に人権を停止したりできる非常大権を定めていた。日本国憲法には規定がないため、有事法制は違憲だとの考えと、政府のように現憲法の枠組みの中でも一定の法整備は可能との考えがある。