小泉流緊急事態法制の危なさ  2002年1月12日

旦の『読売新聞』の一面はすごかった。「『安保基本法』制定へ。政府、有事に包括的対応。首相権限強化、私権を制限」。何事かと思わせる観測記事。きな臭い見出しが、父親(皇太子)似の例の赤ちゃんのかわいい写真(カラー版、16×11センチ)を縦横に取り囲む。何とも「無粋な」紙面構成ではある。ページをめくれば、半ページ弱を使った社説のタイトルは「『テロ後』に臨む日本の課題 政策を総動員して恐慌を回避せよ」。憲法9条2項の改正を急げと声高に叫ぶ。
このところ小泉首相は「有事法制」を「できるところから」手をつけよと言いだした。この人は従来の政治家がおよそ使わない言葉を実にあっけらかんと駆使する。この年末にはこんなことを言った。「〔有事法制研究の〕第一分類とか第二分類とか第三分類とか言うこと自体が技術的すぎる。専門バカになりつつある。役所別の分類にこだわらないで、総括的、包括的に考えるべきだ」(『朝日新聞』12月29日付)。80年代から防衛庁が行っている「有事法制」研究は、防衛庁所管の法令(第一分類)、他省庁所管の法令(第二分類)、そして所管が明確でない法令、あるいは捕虜や住民避難に関する事項(第三分類)に分けられる。こうした三分類による立法作業を「専門バカ」と言い切ることで、包括的「有事法制」制定への勢いをつけようとしているかのようである。
上記『読売』に続き、10日付『産経新聞』に、政府サイドのリークと思われる記事が載った。「緊急事態基本法案」(仮称)が、1月21日召集の通常国会に提出されるというのだ。三分類に基づく有事関連法案の整備は、この基本法が成立した後に行われるという。小泉流の「包括的」「総括的」な方向なのだろう。
法案提出の趣旨は、武力攻撃や「大規模テロ」などの「緊急事態」に総合的に対処することである。「大規模テロ」が正面に据えられているのが目を引く。内容上のポイントは4つ。
第1に、「平時」には「中央緊急事態対処会議」が、「有事」には「緊急事態対処本部」が内閣官房にそれぞれ設置される。
第2に、首相は電気通信設備、有線・無線設備を優先的に利用できる。土地・建物の一時使用や病院の管理、車両などの破損に対して損失補償する。
第3に、通行禁止区域などで警察官または自衛官が車両の移動等を命令できる。指定行政機関の長は、物資の生産販売業者などに対して、必要な物資の保管または収用を指示することができる。
第4に、首相に「重大緊急事態」の布告権限を与え、それが布告された地域では、(1)生活必需物資の配給、譲渡、引き渡しの制限または禁止、(2)物の価格または役務の給付の最高額の決定、(3)金銭債務の支払い延期と権利の保存期間延長などを政令で定めることができる。
「テロ対策特措法」が自衛隊の戦時派遣に重点が置かれていたとすれば、今回の法案は、本格的な国内有事体制の整備が主眼である。国民の権利や生活に密接に関わる事柄も少なくない。テロや「不審船」事件など、国民が漠然と抱いている不安感に便乗して、憲法上重大な疑義のある仕組みを一気に実現しようとしている。
そもそも日本国憲法は国家緊急権に関する規定をもたない。国家緊急権に対するこの「沈黙」をどう評価するか。憲法9条の徹底した平和主義とセットで総合的に解釈すれば、国家緊急権の制度化は憲法上消極に解するのが妥当であろう。
緊急事態法制についての小泉首相の「お気に入り」は、「包括的」「総括的」という言葉である。要するに、できるだけ広範に、アバウトに行け、ということだ。だが、こと緊急事態法制の問題では、権力の濫用の危険をチェックするために、包括的な委任を避け、限定化の方向を追求することが立憲主義に適合的である。
なお、ここで法案の具体的な点に若干触れておく。たとえば、車両の移動を制限する交通統制の権限が自衛官に与えられたり、有線・無線の統制や優先利用や、土地・建物の一時使用等々、現行の自衛隊法では「防衛出動」(武力攻撃が行われ、そのおそれがある場合)下令後に認められることが、従来の「有事法制」とは違って、武力攻撃に至らない事態でも、かなり広範に認められることになる。また、各国の緊急事態法制に見られるさまざまな工夫、特に議会関与の仕組みについて、法案ではほとんど省みられていない。逆に、政令事項を格段に増やすことて、法律ではなく、内閣の命令(政令)で国民の権利に関わる重要な事柄が処理されていく。「テロ対策」と言いながら、そこで検討されている内容は、冷戦時代の「本土防衛戦」における自治体・国民動員の仕組みと重なる。ここは「専門バカ」に徹して、憲法の観点からの厳しい検証が必要だろう。