三十八度線で考える−−日本の「有事法制」論議に寄せて
                          水島朝穂

 真新しい銀色の改札で駅員と並んで、三人の兵士が乗客を検問している。思わずカメラのシャッターを切った。兵士の一人が鋭い目つきでこちらを見る。やがて五両編成の電車が静かに出ていった。京義線の韓国側最北端、都羅山駅の風景である。
 二〇〇〇年六月十五日の南北首脳会談を契機に、朝鮮戦争から半世紀にわたって分断されてきた南北の鉄道を連結する工事が始まった。起工式の当日、南北を隔てる鉄条網が開けられ、その前で少年と少女が赤いバラをもって踊った。その写真が、政府統一部のパンフレット「平和と協力を目指す太陽政策」に見開きで載っている。将来、中国横断鉄道やシベリア横断鉄道と連結して、ソウルとロンドンが鉄道で結ばれる日も夢ではない。韓国が大陸の一角にあることを改めて実感した。
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 十月末、北東アジア平和・安全保障問題に関する日韓共同研究プロジェクトのため、韓国を訪れた。ソウル大学で開かれたシンポジウムは大変興味深く、九月十七日の小泉訪朝などをめぐって活発な議論が行われた。特に興味をひかれたのは、ソウル大学の張達中教授の報告である。教授は、南北首脳会談以降の状況を、「全面的対決関係」から「制限的対決」と「制限的相互依存」関係への発展と特徴づける。今後、南北が「全面的相互依存を通じた平和的関係」へと向かうことができるか。教授は、南北が「多元的な安全保障共同体を経て、ゆるやかな国家連合へ向かう」と予測しつつ、各国の市民社会間の連帯の必要性を強調した。シンポジウム全体を通じて、北東アジアにも全欧安保協力機構(OSCE)のような地域的な集団安全保障の枠組を作っていくことの意義が浮き彫りになったように思う。
 最終日に訪れた国防大学院(日本の防衛研究所にあたる)では、陸軍中将の総長をはじめ、大佐クラスの教授たちと、安全保障問題について率直に意見を交換した。「日本では『有事法制』の理由づけとして、北朝鮮の工作船やゲリラ・コマンド対処が言われているが」と質問すると、テロ対策の専門家の教授(陸軍大佐)は、北朝鮮の特殊部隊の活動が減少していることは統計的にも実証されていると述べつつ、一隻の工作船で大騒ぎをする日本の状況について冷やかな見方を示した。「北の脅威」についても、「過去の権威主義的政権があまりに過剰に脅威を煽り、『脅威の日常化』が起こっていた」と指摘。ソウルは三十八度線からわずか四十七キロ。北朝鮮の重砲の射程距離内である。「五十年間の繁栄を守るためには戦争をしてはならない。脅威はあるが、戦争を抑止するためにあらゆることをする」と、きっぱり言い切った。
 北朝鮮をソフト・ランディングさせるという点では、ソウルで会った学者、論説主幹クラスのジャーナリスト、高級軍人ともに共通だった。
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 南北首脳会談以降、北朝鮮に敵対的な表現や映像はめっきり減ったと言われるが、非武装地帯(DMZ)の展示館で見た解説映画には正直驚いた。のっけから「非武装地帯は、野鳥をはじめとする自然の宝庫。世界に誇る貴重な動植物の楽園になっています」で始まる。北朝鮮を非難するイデオロギー的宣伝映画は、太陽政策を進める政府の意向で自然保護ヴァージョンに差し替えられたという。
 地雷の撤去も始まった。この地帯には二百万個の地雷が埋められている。北朝鮮がDMZから一キロ、韓国側が四キロに渡って地雷を敷設している点について、国防大学院教授(陸軍大佐)は、「地雷の敷設の仕方を見れば、北朝鮮がいかに攻勢的で、韓国が防禦的かがわかる」と胸をはった。北朝鮮には地雷除去技術がないので、韓国軍が地雷除去技術(英国製地雷除去装置MK−4)を援助するという。
 なお、韓国は、休戦ラインから十二キロ離れた開城に六千三百万平方メートルの工業団地を開発する計画である。今年中に第一期工事が始まる。都羅山駅から南に折り返していた電車が北の開城に向かう日もそう遠くはないだろう。拉致問題の怒りは当然としても、北朝鮮を「窮鼠猫を噛む」状態に追い込むことのないよう、冷静かつ慎重に対処していく度量が求められている。
※筆者の札幌講演(十一月十一日午後六時、かでる2・7、札幌弁護士会主催)

みずしま・あさほ 早稲田大学法学部教授。一九五三年東京生まれ。札幌学院大助教授、広島大助教授を経て、九六年から現職。法学博士。著書『現代軍事法制の研究』(日本評論社)、『知らないと危ない「有事法制」』(現代人文社)ほか。筆者のHP(http://www.asaho.com/ )