軍隊が国内出動するとき 2003年1月27日

ランクフルト中央駅からカイザー通りを抜けていくと、高層ビル群が林立する一角がある。ドイツのみならず、ヨーロッパの金融・経済の中心。その象徴が欧州中央銀行ビルである。新年最初の日曜日(1月5日)。1機の軽飛行機が、精神病歴のある学生(31歳)にハイジャックされ、この地区上空を旋回した。軽飛行機は欧州中央銀行ビルに突入する構えを見せたため、ビルの人々が避難する騒ぎとなった。フランクフルト空港は2時間近く閉鎖され、116の便が離発着不能となった。高層ビルと飛行機。一瞬のうちに人々の頭には共通のイメージが浮かんだことだろう。9.11の貿易センタービル(WTC)の光景である。
  最初、警察がヘリコプターで追跡したが、空軍も2機のファントム戦闘機をスクランブル発進させた。連邦国防省によれば、ハイジャック機に爆発物が積まれていないことがすぐに判明したこともあって、同機の撃墜は議論されなかったという。ヘッセン放送によれば、この軽飛行機は重量500キロ。積載燃料は70リットルだった。かりにビルに突っ込んでも、VW(フォルクスワーゲン)ゴルフ1台が突っ込んだのと同じ程度の被害と見積もられた(ちなみに、ゴルフの車両重量は1250kg)。これが正しいかどうかは分からないが、ジェット燃料満載の、離陸まもない大型ジェット機を使った「9.11テロ」とは大違いであることは明らかだろう。
  ファントム戦闘機が軽飛行機に接近して威嚇したこともあって、学生は約2時間後にフランクフルト空港に着陸。何の抵抗もしないで逮捕された。この学生は、18歳のときに単発機の航空免許を取得した。なぜこんな行動をとったのか、その動機は不明だが、航行中の航空機を使った犯罪行為であり、その最高刑は15年の懲役である。
  この事件は日本ではあまり知られていない。『朝日新聞』1月6日第1社会面に403文字の記事が出たほか、テレビでもほんのわずか映像が流れた程度である。ドイツではけっこう大きな扱いだった。その際、法的な問題も注目された。
  事件発生直後にNATO軍から連邦空軍総監に連絡が入り、さらに首相、国防相、地元のヘッセン州首相が電話でやりとりが行われたという。「平時」には、連邦国防相が軍の指揮・命令権をもつ。「有事」(防衛事態)が連邦議会の3分の2の多数で確定されると、その権限は首相に移行する。今回は当然「平時」だから、国防相の判断が重要となる。だが、このファントム発進については、かなり現場の判断が先行したようだ。
  ドイツ基本法(憲法)は、連邦軍の出動を厳しく制限している。連邦軍は「防衛のために出動する場合のほかは、この基本法が明文で許容している限度においてのみ、出動することが許される」(87a条2項)。基本法が明文の規定を置くケースとして、35条2項の「自然災害または特に重大な災厄事故」の場合が挙げられる。35条には「職務共助」(Amtshilfe)も定められている。警察や軍が相互に協力することが想定されているのだ。
  だが、フランス1791年憲法が、「公の武力」を国民に向けて使用してはならないと戒めたように、各国とも、軍隊の国内出動には枠をはめている。国内治安は、もっぱら警察の仕事だからである。この点と関連して、警察労働組合のK.フライベルク議長は、北ドイツ放送のインタビューで、大要こう述べている(NDR Info vom 13.1)。

野党のキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)が、重要施設等の保護や組織犯罪取り締まり、さらには航空機撃墜のための法的根拠の明確化を提案してきたことは承知している。我々は、連邦軍は対外的に、警察は対内的に権限を有するという理由からこれに批判的である。水害などの場合に、職務共助の範囲内で軍と協力することはもちろんだが、軍が対内的に固有の権限や任務領域を得ることには反対だ。それは不必要である。軍が駐屯地警備を私企業たる警備会社にさせているという例を想起する。テロ対策は警察の権限であって、その点では何にも変わらないだろう。

  しかし、今回の事件をきっかけに、基本法改正をめぐる論議が始まった(n-tv vom 13.1)。連邦議会内務委員長(SPD)は、基本法改正なしで連邦軍の対内出動は可能だという見解を示している。連邦憲法裁判所の元裁判官Helmut Simonは、国防省の決断に理解を示す。そして、「事態は警察的手段をもってしては克服できなかった」としながらも、将来、連邦軍を対テロ措置のために出動させるときは、基本法の補充(改正)が必要だろうと述べている。デュッセルドルフ大学教授のMartin Morlokも、基本法の改正が不可避と説く。ただ、対内出動は例外的な事態だけに限られるとする。フランクフルト大学名誉教授のErhard Denningerも、この出動を「正しい手段」と評価する。「われわれは空からのテロ攻撃に対してどう守るのかを検討しなければならない」と述べ、基本法が列挙する例外的事例に今回のケースはあたらないので、基本法の「慎重な現代化」が必要だと説く。
  対イラク戦争をめぐる米国の突出に対して、フランスとともに慎重な態度をとるドイツが、現在の場面で基本法を改正して、対テロ国内出動を連邦軍の任務に格上げすることは考えられない。当面、現行法の解釈・運用でいくだろう。
  日本の自衛隊も、ゲリコマ(ゲリラ・コマンド)対処で警察との連携を進めている。昨年11月18日には、陸自北部方面隊と北海道警察が、札幌の道警本部で共同図上演習を行った。演練は、機関銃などの強力な武器をもつ武装工作員が北海道に上陸したという想定で行われた。かつてはソ連軍北海道上陸、いま「北」の武装工作員というわけである。なお、平成15年度予算案では、「ゲリラや特殊部隊の侵入対処」のための特殊作戦群(仮称、約300人)の新編などに192億円が計上された。拉致問題以来、理性的な言語空間を失った日本では、市民の知らないうちに既成事実が積み重ねられている。

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