「湾岸トラウマ」?――必要な戦争などない 2003年3月17日

治や外交は、トップの姿勢で大きく動くことがある。例えば、小渕首相(当時、以下同じ)が対人地雷全廃の方向をいち早く選択した結果、陸上自衛隊は100万個保有していた対人地雷を全廃した。2月8日、最後の25個を、饗庭野分屯基地(滋賀県)で行われた記念式典で処理し、廃棄を完了した。日本は対人地雷のない国になった(対戦車地雷はまだあるが)。ほとんど評価するところのない首相だったが、対人地雷全廃のテンポについては、彼の力におうところ大である。政治の力としては、薬害エイズ問題における菅厚生大臣の行動、ハンセン病訴訟における小泉首相の「控訴せず」決断などもある。田中真紀子外相があのタイミングで暴れなければ、外務省の実態について国民がここまで関心をもつことはなかっただろう。官僚が抵抗しても、時に政治家がそうした決断を行うのは、世論とそれを受けた(あるいは先取りした)マスコミの力である。「世論の風に乗る」。これは政治家の本能ないし感性といえるだろう。官僚には決して真似のできないことだ。なぜか。政治家は4年に一度の選挙の洗礼を受けるが、キャリア官僚は一度の試験(現在は国家一種)で一生が決まるからである。政治家が世論(選挙民)に敏感なのは当然のことであり、
   他方、官僚は行政の継続性と安定性、組織の論理を重視することになる。官僚トップの次官になれる人物は、入省時の成績上位者である。一度の試験の成績が最後まで影響することは、一般人にはなかなか理解しがたい。例えば、トップの成績で警察庁に入ったキャリアが20代後半(最近少し先になったが)で一度警察署長になるのだが、着任するのは警視庁本富士署と決まっていた。本富士署長会というのがあるが、メンバーは全員東大卒である。なぜか。本富士署の所轄が東大キャンパスだから。こんなキャリア独特の「慣行」が崩れて、ノンキャリアの署長が誕生したのは、ごく最近のことだ。警察不祥事への批判が高まらなければ、この「慣行」はまだまだ続いたことだろう。世間に通用しない官僚特有の論理と風習である。そこで思い出したが、外務官僚を呪縛するおかしな論理がある。「湾岸トラウマ」である。これがいま、日本の国際的地位を危うくしている。

  1991年の湾岸戦争のとき、日本は米国中心の「多国籍軍」に130億ドルも拠出したのに、戦争後、日本だけが評価されなかったといわれている。ブッシュ(父)大統領から首相官邸に直通電話(「ブッシュフォン」という)がかかってくるとき、海部首相(早大法学部卒)はビクビクだったようだ。ブッシュ(父)は日本に、湾岸への自衛隊派遣など、「目に見える貢献」を強く迫った。ブッシュが「YES or No?」と問うと、海部首相は思わず「or」と叫んだとか。米国からは「遅すぎる、少なすぎる」(too late, too little) と締め上げられ、オロオロして国際社会の笑い物になったというのが、彼ら外務官僚や与党政治家、一部の政治学者の「トラウマ」の中身である。
   『産経新聞』系(『夕刊フジ』3月12日付)によれば、今回の対イラク問題で、日本政府がいち早く米国支持を打ち出した背景には、「二度と遅れは許されない」という思いが、政府部内に強かったからだという。「トラウマー」の人脈は次の通り。川口順子外相は湾岸戦争当時、商務担当公使としてワシントン駐在。外務省と首相官邸でイラク問題を仕切る人物は、2人とも当時、米国大使館勤務。西田総合外交政策局長と谷内内閣官房副長官補である。海老原北米局長は当時、中近東一課長。加藤良三駐米大使は、駐米公使。別所首相秘書官も米大使館勤務等々。政府中枢の「12年前のトラウマ」が、世界も唖然とする、前のめりの対米支持の背景にあるというわけだ。
   なお、官僚出身の川口外相の信条は、「耳順」(論語の「六十而耳順」)だそうだから、聞くこと、理解することは抜群でも、政治家としての決断は今後も期待できないだろう。ブッシュに追随する官僚外相と官僚たち(特に原口国連大使はひどい!)、そして何もいえない小泉首相(慶應大学卒)。親父ブッシュに屈した海部氏と、ドラ息子とその取り巻きに振り回される小泉首相。ブッシュ親子への追随を競う「早慶戦」だけは願い下げにしたい。

  はっきりいう。そもそも、この「湾岸トラウマ」そのものが勘違いなのである。ブッシュ(父)が起こした91年湾岸戦争は、90年8月、米国がイラクにクウェート侵攻を仕向けた(「飛んで火に入る夏のフセイン」)、「挑発による過剰防衛」だった(ラムゼイ・クラーク元司法長官編著『アメリカの戦争犯罪』柏書房参照)。国連の圧力や仲裁(デクエアル国連事務総長、ミッテラン仏大統領など)を経て、ついにフセイン大統領がクウェートからの撤退を決意したとき、米軍のバグダッド空襲が始まった。だから、イラクのクウェート侵略をやめさせる目的のための「必要な戦争」ではなかった。湾岸戦争は、国連安保理決議678号に悪のりした戦争だったため、「国連が死んだ日」ともいわれた。あの湾岸戦争が「不必要な戦争」であり、冷戦後の中東の石油支配と再分割のために「必要な戦争」だったことは、かなり明らかになりつつある。だから、130億ドルの戦費負担したこと自体が間違いだったのである。数々の謀略と情報操作を通じて、いまも民間人大量殺戮の実態が隠されている。そうした戦争に対して、12年前、「金しか出さない」といわれたが、本来、金も出すべきでなかったのである。ブッシュ親子による戦争犯罪にこれ以上加担してはならない。親父の時も露骨だったが、まだクウェート侵略という事実があった。今回は何もない。「テロ支援国家」から「大量破壊兵器」、そしてついには「フセイン体制の転覆」まで、戦争目的はくるくる変わる。「大量破壊兵器」を世界で最も大量にもつ国が、新たな大量破壊兵器(「史上最大の非核兵器」といわれる空中爆発爆弾MOAB)の実験のために戦争をする。これは「不必要な戦争」どころか、戦争犯罪そのものである。

  いま必要なことは、米国から距離をとって、イラクに対する武力行使に一切協力しない立場を鮮明にすることである。日本としては、国連決議があっても武力行使には参加しない、「戦争が必要な場合もある」という立場からも距離をとる。そして、戦争という選択肢をなくす努力の先頭にたつ。これが日本国憲法をもつ日本が本来すべきことなのである。もし戦争になれば、世界中から、戦争への協力が「早すぎる、多すぎる」という非難と軽蔑を受けるだろう。国際法違反の戦争にそこまで深く加担すれば、国際的な不名誉は12年前の比ではないだろう。その時の「湾岸トラウマ」は深刻である。

(2003年3月12日執筆)

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