イラクとコンゴ――派兵目前の日本とドイツ 2003年6月16日
月6日、松江市での講演のため出雲空港に向かった。到着直後に、参議院で「有事」関連3法案可決のニュースを知った。島根県庁前を通りかかると、法案成立に抗議して座り込む人々がいた。何人かが新聞の切り抜きを読んでいる。そこに私の写真が。当日の『朝日新聞』(6月6日付)に載った私の論評記事である。夕方の講演会では、成立した法律の問題点について、いつも以上に力をこめて話した。
 ところで、「有事」3法案に対して、参議院で反対はわずか32票だった。86%が賛成。つまり7分の6の賛成で可決・成立したことになる。最大野党の民主党は、「基本的人権の最大尊重」が入ったことを主な理由に賛成にまわった。法案に反対していた民主党の「転進」によって、イラク特措法案が一気に浮上した。「政権担当能力」を示そうとして法案をほぼ丸飲みしたため、問題の内容的解決には何も資することなく、逆に、安全保障問題における国会論議のバランスを大きく狂わせる結果になった。与党は何でもありの暴走モードに入っている。「海外派兵」の正当化に一気に進みかねない勢いである。
90年代の国会では、政府は、「海外派兵」と「海外派遣」を慎重に区別してきた。「海外派兵」とは、(1) 武力行使の目的をもって、(2) 武装した部隊を、(3) 他国の領土・領海・領空に派遣することと定義され、それにあたらない「海外派遣」は合憲という立場である。カンボジアへのPKO 派遣のときは、武力行使の目的はなく、もっぱら道路補修等を行うということで、陸自施設大隊を初めて海外に出すことに成功した。あれから11年。ついに実質的な「海外派兵」を行う法案が国会に提出されたのである。
 法案の問題点はいくつもあるが、ここでは4つだけ指摘しておく。第1に、「目的」(1条)にある「イラク特別事態」について。この定義では、直接関係のない国連決議を羅列し、米英軍による国連憲章違反の武力行使を丸ごと正当化している。肝心の大量破壊兵器は見つからず、米英の議会で政府の情報操作が厳しく追及されている。今後、さまざまなウソが明らかにされるだろう。米国では、フセイン大統領や政権幹部をお尋ね者のように茶化したトランプと一緒に、「イラクの自由」作戦の「ヒーロートランプ」が売られている。ブッシュ、ラムズフェルド国防長官、フランクス中央軍司令官、メイヤー統参議長がエースである。いずれ歴史によって戦争犯罪を追及されるトップたちである。それはともかく、米英軍のイラク駐留そのものが、違法な武力行使の結果としての占領であって、それに協力・支援することは、国連加盟国イラクに対する侵略行為に加担することを意味する。米英の対イラク武力行使に対する追及は、国際人道法違反の兵器の使用も含め、今後、さまざまな形で始まるだろう。米国との適切な距離をとることが必要なとき、場面で、小泉首相の突出が際立っている。
 第2に、任務のなかに「安全確保支援活動」がある(3条1項2号、3条3項) 。これは純粋な意味での人道援助ではない。イラク軍残党を「掃討」する米英軍の作戦を支援する活動も含まれよう。実質的には、戦闘部隊に密着した兵站活動を担う可能性が高い。武器・弾薬の輸送を含むことになれば、米英軍の武力行使と一体となることを明らかだろう。政府が従来から言ってきた「武力行使との一体性」そのものである。なお、「対応措置の実施は、武力による威嚇または武力の行使に当たるものであってはならない」(2条2項)とある。これこそ究極の白々しさだろう。イラク北部では13日、100人以上のイラク人を米軍が殺害している。民間人の死者は、AP通信の調べでは、少なくとも3240人。APはイラクの124の病院のうちの60だけからこの数字をはじいており、地方を含む残り64の病院は未調査であり、しかも4月21日以降の数字は含まれていない(ワシントンポスト紙6月14日)。未だ数字も確定できないほど、一般市民に犠牲者を出しながら、現在も戦闘が継続している。武装解除もほとんど進んでいない。そんな所にノコノコでかけていけば、イラク人武装勢力にとっては、米英側の立場にたった「武力よる威嚇」と感じられ、かつ彼らの恰好の攻撃目標となるだけだ。
 第3に、「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域」(2条3項) とは何か。この言葉は、99年の周辺事態法3条3号の「後方地域」の定義で出てきたものである。そのときは対象は公海とその上空だった。テロ特措法2条3項では、「対応措置」の実施場所として「戦闘行為が行われることがないと認められる地域」として、1号で公海とその上空、2号で「外国の領域」が挙げられていた。そして、今回、この順番が入れ代わり、1号で「外国の領域」(イラク!)と2号で公海とその上空となった。99年から4年がかりで、ついに「わが国の防衛」を目的とする「自衛」隊を、もっぱら他国領土内で活動させる軍隊に転換する法的枠組が、なし崩し的にできあがった。このままいけば、イラク軍の残党との戦闘に巻き込まれることは必至であり、自衛隊初の戦死者がでることが十分予想される。
 第4に、武器の使用について。テロ特措法の同種の武器使用規定(17条)をもつが、武器使用基準の緩和を求める動きは制服を含めて根強い。「自衛隊を海外に出す以上、武器使用基準を緩和せよ」。こういう論理で、無反動砲まで持っていこうとしている。「一丁の機関銃」が社説にもなった1994年が懐かしいくらいだ。
 米国に取り入り、占領行政の一角を担い、支援して、石油のおこぼれに預かろうというさもしい根性が、イラク特措法を急ぐ人々の共通のメンタリティだろう。なお、法形式の面から見れば、時限立法として4年はあまりに長い(テロ特措法は2年)。さらに4年延長できるから、実質的な恒久法といえよう。
 「有事」関連3法が施行され、かつイラク特措法が閣議決定されたその日、ドイツでは、ドイツ連邦軍のコンゴ派遣が閣議決定された(議会決定は6月18日の予定)。部族間の紛争・虐殺が続くコンゴ(旧ザイール)北東部に展開するEU部隊(1400人)の一角を担う。なお、ドイツでは日本のように、「海外派兵」ではなく、「NATO域外派兵」が問題となってきた。NATOの領域内(米国から欧州、北アフリカ、トルコまで)の連邦軍派遣は、集団的自衛権の行使(同盟事態=NATO条約5条事態)として可能だが、NATO域外への派兵は基本法上できないとされてきたのだ。だが、湾岸戦争後、旧ユーゴ、ソマリア、カンボジアなどへの派遣が続き、当時の社民党や緑の党によって違憲訴訟も提起されたが、連邦憲法裁判所は、1994年7月12日判決により、「議会の同意」を条件としてNATO域外派兵を認めた。違憲訴訟を提起した社民党・緑の党の政権のもと、NATO域外派兵は頻繁に行われるようになった。歴史の皮肉である。結局、94年判決以来、連邦議会は28件の連邦軍派遣に同意を与えてきた。ドイツでは、この28件の「蓄積」のもと、社民党の国防大臣のもとで連邦軍改革が実施されている。国防軍から、「海外任務」を主任務にした危機対応部隊に改編する過程にある。すでに、社民党・緑の党の政権のもとで、ドイツはバルカンからヒンズークシの間に1万人のドイツ連邦軍を展開させている。いま、議会の同意を毎回とれないことを想定して(むしろ、政府の判断で柔軟に派遣できるように)、ドイツ連邦軍派遣法が審議されている。イラク特措法と連邦軍派遣法。いずこも、議会の統制を緩和するところに力をさいている。共通の傾向である。
 アフガニスタンでは、ドイツ兵がすでに14人も死亡している。事故を含むが、海外でのドイツ兵「戦死」は二桁になった。虐殺が続くコンゴに派遣されるドイツ軍人は350人規模。さほど大勢ではない。ただ、海外勤務も長引き、海外にいる1万人近い軍人とその家族の間に矛盾が高まってる(防衛監察委員2002年報告書、2003年3月11日)。現在のドイツ政府は、イラク戦争には反対を貫きつづけ、シュレーダー首相もイラク戦争に協力しなかったことは間違っていなかったと述べている(6月13日)。「多少の犠牲はやむをえない」と言いながら、先回りして米国の提灯持ち政策を実施する小泉政権ほど情けないものはない。そして、これほど国の政治のバランスが悪くなった時期もない。ドイツは、イラク戦争反対を貫くなかで、EU部隊の一角をしめるという形で、米国との軍事同盟型の派兵から距離をとろうとしている。日本の盲目的親米はきわめて異様である。国会での議論にバランスを取り戻すべきである。民主党は、今度こそ、「特措法」反対を貫くべきだろう。