個人の良心が問われる時代に 2003年6月23日

編集長という肩書がある。雑誌や新聞ではない。「小泉内閣メールマガジン」。編集長は安倍晋三官房長官。総編集長が小泉純一郎首相その人である。今回で99号になるという。創刊号から一応送ってもらう手続きをしていたが、内容のつまらなさと、何よりも冒頭からの空虚な文章(首相のあのしゃべり方そのものの文体)のゆえに、最近では着信すると削除していた。その「作業」を99回もやったわけで、時間がたつのは早いものである。
 さて、最新のメルマガの巻頭言は「イラク復興支援法と『三位一体』の改革」である。「三位一体」という言葉の使い方のおかしさもさることながら、「皆さんとの対話を大事にしながら、日本はいい国になったなあと心から思える、そんな国を皆さんとともに築いていきたいと思います」という結びの言葉はいかにも浮いて聞こえる。「皆さん」って誰のこと? 庶民の側に「痛みが伴う」ことばかりやる、そんな内閣に「皆さん」と言われたくないと思う。とりわけ、「イラク復興支援法案」。この戦後初の、恥も外聞も投げ捨てた海外派兵法を、会期を延長して成立させようとしている。「有事」関連法も施行される。「わが国の防衛」のために宣誓して入隊した自衛隊員を、宣誓内容に含まれない、「ブッシュの戦争」のために「戦死」させていいか。とりわけ物資の輸送などの分野で働く人々は、他国の民衆を殺す役務に協力するのか。これからは一人ひとりの良心が問われる時代になってきたように思う。これに関連する文章を、日本司法書士会連合会発行の『月報司法書士』に連載中の「憲法再入門」に書いたので、以下転載する。

 

思想・良心の自由の「絶対的保障」

◆「有事」関連法案と基本的人権
 5月15日、衆議院で「有事」関連三法案が可決された。与党と民主党の筆頭理事2人による修正協議の結果、再修正案がまとまり、実質審議なしで採決された。本稿執筆時、参議院での審議が始まっていないが、法案成立は確実視されている。
 ところで、民主党が法案賛成にまわった最大の理由が、「基本的人権の尊重」が明記されたことだという。民主党の対案(4月14日)には、「思想及び良心の自由は絶対的に保障されなければならず、国の安全の確保又は公共の秩序の維持を理由として、思想を統制してはならない」という一項があった。与党と合意した再修正案は、「武力攻撃事態等への対処においては、日本国憲法第14条、第18条、第19条、第21条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない」となっている。19条は思想・良心の自由だが、他の条文とフラットに並べられて「最大限に尊重」とされているだけで、「絶対的に保障」という文言はどこにもない。一般に、破壊活動防止法や通信傍受法等々、人権を侵害するおそれのある法律には、人権に対する配慮や尊重を謳う規定が置かれるのが常である。だが、それが濫用防止に役立つと考えるのはあまりに楽観的にすぎよう。そもそも、人権は憲法で保障されているのであって、一般法律に「人権を尊重します」という一項が入ったからといって、とりわけ法律自体が違憲の疑いが濃厚な場合には、ほとんど無意味ではなかろうか。
 政府はむしろ、その「絶対的保障」ですら制限する意向のようである。例えば、昨年7月24日の衆議院の特別委員会において福田康夫官房長官は、「武力攻撃事態」での国民の権利制限に関する政府見解を示した。そのなかで福田長官は、「思想、良心、信仰の自由が制約を受けることはあり得る」として、具体的に、物資の保管命令を受けた者が、思想・良心を理由に自衛隊への協力を拒んだとき、それは内心の自由にとどまらず、「外部的行為」を伴ったもので、公共の福祉により制約されるとした。この思想・良心の自由の理解の仕方にはかなり問題がある。

◆思想・良心の自由の性格
 思想・良心の自由(憲法19条)は、権力に対して、人の精神生活を基礎にある心のありよう(内心)の侵害の禁じた重要な人権である。「思想」は「内心の自由」の知的、論理的、体系的な側面を、「良心」とはその主観的、倫理的、信念的な側面を表現するといわれる。思想や良心が心の内側から外部に向かって表出されるときは「表現の自由」(21条)の問題となり、論理性と体系性を重視すれば「学問の自由」(23条)と重なり、さらに心の内側にとどまる場合であっても、それが宗教的色彩を帯びれば「信教の自由」(20条)の問題となる。端的に言えば、憲法19条は、人間の精神生活のさまざまな側面と密接な関係を保ちながら、個人が思想・良心を形成していく過程と、その思想・良心を自己の内面に保持し続けることを保障したものといえる。大方の学説は、この思想・良心の自由が、心の内側にとどまる限り、絶対的保障を受けるとしている。心の内側にあるものが、他人の人権を侵害する余地はないからである。公共の福祉による制約も許されない。だが、憲法19条は、外部に出ることを予定しない思想・良心の「ひきこもり」を奨励したものでもない。外部への表出を暗黙の前提としながら、心の内側で思想・良心が形成され、保持されることに対して、権力が介入することを遮断するところに眼目がある。 ところで、思想・良心の自由を侵害するのは、直接的な思想調査だけではない。19条により、特定の考え方を注入する思想教育が禁止されるのはもちろん、個人にいかなる思想の持ち主かを開示させたり、その申告を求めたり、どんな思想をもっているかを推認・推知しうる状態・環境をつくることも禁じられる。「沈黙の自由」である。
 さらに、この問題のエキスパートである西原博史氏は、近著『学校が「愛国心」を教えるとき』(日本評論社)において、学校現場における思想・良心の自由の問題状況を、子どもに視点を据えつつ鋭く分析している。とくに、一定の行動を国家に強制されることで、自己の思想・良心を傷つけられ、人格としての同一性を失うような場合や、強制的に一定のメッセージにさらされ続けることで、いつしかその考え方を受けいれさせられる場合など、思想・良心の自由の侵害態様にはさまざまなものがある点に注意が必要だろう。

◆良心的役務拒否?
 米軍の先制攻撃により「有事」が発生。戦争反対の立場から物資保管命令を拒否した業者が、同業者や地域の人々から圧力を受けたとする。この場合、保管命令拒否という外部的行為は、彼・彼女の「戦争反対」という信念に基づくもので、思想・良心の自由と切り離して考えることはできない。一九条違反の問題が生ずる余地がある。なお、日本では、キリスト教的伝統のもとで生まれた「良心的兵役拒否」に対する関心は低かった。「有事」法案の成立により、軍事役務の提供を思想・良心の自由に基づき拒否できるかを論ずる「実益」が生まれたといえよう。「有事」は強い国家を生む。「愛国心」の強調や動員的雰囲気が強まる。思想・良心の自由がますます重要になる所以である。

《付記》『月報司法書士』376号(2003年6月)「憲法再入門――『現場』からの視点」(連載第5回)「思想・良心の自由の『絶対的保障』」

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