日韓共同研究IN沖縄 2003年6月30日
雨があけたばかりの沖縄は暑かった。6月20日から4日間、沖縄に滞在した。日韓共同研究「21世紀北東アジア平和・安全保障情勢の変化と日韓の安保・治安法制の構造」(科学研究費補助金基盤研究A)で報告するためである。韓国側の日程の都合で、今回は日本平和学会の沖縄大会と重なってしまった。平和学会でも報告も依頼されたが、日韓共同研究での報告が先約だった。平和学会については、『沖縄タイムス』が一面トップで報道するなど注目された。日韓共同研究の方は、マスコミに特に知らせず、むしろ日韓の研究者がじっくり議論を深める場になった。ソウル大学の張達重教授と韓寅変教授を軸に、386世代の学者たちが多く参加した。『法律時報』6月号特集に執筆してくれた、李桂洙教授(蔚山大学)と在韓米軍地位協定問題の専門家である李正姫弁護士も参加した。今年2月の共同研究(京都)にも参加した李碩兌弁護士は、大統領補佐官(公務員問題担当)に任命されたため、今回は欠席した。国家保安法違反で逮捕されて服役した元学生運動指導者で、現在ソウル法科大学で刑法・刑事政策を教えている曾国教授など、昨年10月以来の3度目の知己もいる。今回初めて、趙弘植教授(ソウル法科大学助教授)と具甲祐教授(慶南大学校北韓大学院)の報告を聞いた。大変立派なペーパーだった。私の報告は、「『日米同盟』から地域的安全保障体制へ――沖縄が問うもの」と題して行ったが、自分としては既発表のものを出るものではなく不満が残った。初日の山内徳信元読谷村長(前沖縄県出納帳)の報告「平和のための地方自治」は大変インパクトのある、沖縄における具体的な憲法・平和実践に関わるものだった。私の報告は、かつての山内氏との仕事を踏まえて、北東アジアにおける安全保障の方向と内容を具体的に提示するものだったので、両報告がうまく響きあって、韓国側から、日本の問題状況を理解するのに役立ったという評価を受けたことは幸いだった。日本側は、加藤裕氏(沖縄弁護士会)「日米地位協定の改正に向けて」と阿波連正一氏(沖縄国際大学)「沖縄米軍基地と土地問題」という現場からのリアルな問題提起もあった。異なる国のそれぞれの事情を踏まえて、お互いに問題意識を深めていくのには時間がかかる。共同研究3回目にして、日韓双方ともに手応えを感じた2日間だった。
 3日目はフィールドワーク。コースはキャンプ・ハンセン、米軍基地内にある読谷村役場と役場内の「憲法第9条の碑」、楚辺通信所(像のオリ)、チビチリガマ(83人の強制的集団死の現場)、彫刻家金城氏のアトリエ、普天間飛行場、佐喜眞美術館(基地返還地内にある)など。山内栄氏(琉球大学非常勤講師)の名ガイドで大変充実した内容になった。コース自体は私自身すでに何度もまわっているし、人を案内することもできる。だが、ガイドの山内栄氏は、沖縄史から軍事問題、地質学に至る豊富な知識と絶妙な話術に、私自身も大変刺激された。韓国側も大いに満足したようである。夕方、韓国文化放送(MBC) の取材を受けた。県庁横の噴水の前で、30分ほど、沖縄と安保条約・地位協定の問題についてインタビューに答えた。その晩のお別れ会は、居酒屋「山海」。山羊の刺し身で有名な店である。大衆酒場だが、若くして亡くなった高円宮の写真が4枚も飾ってあった。服装の違いから、最低4回はこの店に来ていたことがわかる。確かに気さくな人だったようだ。ここで山羊の刺し身というのを初めて食するが、小生の口にあわなかった(ちょっと不幸)。
 翌朝、ホテルで韓国側と日本側のメンバーと別れ、私一人、韓国文化放送のクルーの車で「慰霊の日」会場(糸満市)に向かった。車内で日本や沖縄の問題についてレクチャーすることになっていた。糸満に近づくと、道路は平和行進であふれている。クルーは何度も車を降りて、人々の表情などを撮影したり、インタビューしたりしていた。会場で韓国MBCのクルーと別れて、「平和の礎」を一人でまわった。韓国人犠牲者の碑の前で、韓国の人々が集まっていた。「平和の礎」は地域ごとに死者の名前が刻んである。日本以外では、国別になっていて、米軍の戦死者も階級別になっていない。戦死したバックナー中将の名前も、普通の兵士たちと一緒に並んでいるので、なかなか見つからなかった。将官だから名前を大きくしたり、目立つようにするという配慮をあえてしない、死者を平等に扱う姿勢が貫かれている。なお、韓国人慰霊碑は、目立たないところにあり、今回初めて訪れた。慰霊式の開催時間にあわせて、黒塗りの公用車が数台、スーッと会場にあらわれた。沖縄担当相らの車列だが、今年は小泉首相は参列しなかった。帰りのタクシーの車内で、ラジオから、イラク特措法に関して声高に答弁する小泉首相の声が流れてきた。いよいよ、日本が海外派兵をする時代になる。国際法を無視して暴走する米国に、ここまで露骨に寄り添う首相。沖縄北部出身という年輩の運転手は、「小泉さんは戦争をやる気なんですね」とボソッと言った。

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