小さな嘘と大きな嘘 2004年3月1日

賀潤一郎代議士の「経歴詐称」が問題になっている。マスコミに叩かれる様子、懸命に弁解する姿を見ていて情けなくなった。「卒業していません。中退でした」と素直にあやまれば、別の可能性もあっただろうに。単位が足らず、卒業できなかったけれども、世の中で活躍している人はたくさんいる。「早稲田中退」の作家やタレントの方々もけっこうおられる。かくいう私自身も博士課程中退である。正確にいえば、早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。現在は単位制をとっていないので、博士後期課程在籍期間満了退学(満期退学)となる。あまりに長たらしいので、自己紹介欄に博士課程修了と書いたこともある。厳密にいえば、経歴詐称といえなくもない。
  小中高が6.3.3制で、大学は4年。大学院が、博士前期課程(修士課程)2年と博士後期課程3年で原則5年である。後期課程の3年間在籍して研究指導を受け、博士論文を提出して審査に合格すれば、博士学位を授与され、「博士課程修了」となる。これを「課程博士」という。他方、博士論文を提出しないで助手・講師などに就職すると、「満期退学」となる。文系の大学教員で「博士課程修了」といえる人は実はきわめて少ないのが現状である。理系や医学系では「課程博士」が多く、博士号をもった研究員や助手はざらだが、文系ではほとんどいない。理系では博士号は研究者の入口だが、文系の場合、学問の道をきわめた人のための「勲章」という考え方が根強く存在したからだろう。今後は、「課程博士」をもっと出していくことが、文系大学院の重要な課題となっている。
  早大の場合、「満期退学」後3年以内であれば、就職した後でも「課程博士」がとれる。退学まで3年間の延長が認められるので、計9年間が「課程博士」の限度ということになる。ただ、退学後3年を過ぎれば、「課程によらない博士」(従来からの「論文博士」)で学位をとる道しかない。私は博士課程の所定の単位を取得し、「オーバー・ドクター」(就職浪人)を2年半やり、助教授で就職したので博士課程を退学した。そして、14年後に「論文博士」で博士(法学、早稲田大学)の学位を取得した。「課程博士」ではないので、過去に遡って「博士課程修了」とはならない。学位を取得しても経歴上は「博士課程単位取得(満期)退学」、つまり中退のままである。博士学位を取得しても、「単位取得退学」の時点(私の場合は1983年)にまで遡って、「退学」が「修了」に変わるわけではないのである。最終学歴が永遠に「退学」ないし「中退」というのは確かにおさまりは悪いが、学問に終わりがない以上、別に呼び名はどうでもいいようにも思う。ただ、将来政治家になるような人は、選挙広報に「博士課程修了」と書かない方がいいだろう。
  なお、1991年以降、学位表記の仕方が変わり、法学博士(○○大学)から博士(法学、○○大学)という形になった。テレビ番組などでは、「今日のコメンテーターは、医学博士の○○先生です」と紹介するが、制度変更後に学位を取得した人ならば、「博士(医学)の○○先生です」となるはずである。ただ、正式の履歴書(文科省申請書類等々)以外では、博士(医学)を医学博士と呼んでも経歴詐称にはならないだろう。

  さて、古賀潤一郎代議士の問題に話を戻そう。いま、「卒業」だけでなく、留学期間や留学先、留学の形態などについても、政治家の経歴のあら捜しが盛んに行われている。何とも情けない話である。潤一郎代議士がアメリカの大学を卒業したと偽ったのは「小さな嘘」である。しかし、その「小さな嘘」が次々破綻するなかで、一番腹が立ったのは、議員を辞職せずに、米国の大学で残りの単位を取得すると語ったことだ(1月27日)。大学教員の立場でいえば、もし自分のところの留学生が中退して本国で国会議員になり、そこで単位が足りないと問題にされ、本国で議員を続けながらといって私の講義を履修しに来日したと仮定してみよう。受け入れる側からすればいい迷惑である。「単位」というが、きちんと授業に出て、試験に合格する一連のプロセスをいう。何よりも一生懸命勉強することが前提となる。国会議員を続けながら、外国の大学に通うことなど不可能である。たまに授業に出てきて、「先生、本国でピンチなんです。試験だけで単位ください」なんて学生がいたら、さっさとお引き取り願う。潤一郎代議士は、米国の大学に対してきわめて失礼なことをいっていることに気づいていないのではないか。
  もう一つ。潤一郎代議士にしても、マスコミにしても、「単位」というものの考え方があまりに軽くははないか。私は学生にいう。「人はパンのみに生きるにあらず」と同様に、「人は単位のためのみに学ぶにあらず」と。私の授業には、「潜り」といって、単位とは無関係に授業に出てくる人がいる。他大学の学生もいる。何年も前のことになるが、最前列で一度も休まず、毎回質問してきた学生がいた。彼が試験前の最後の授業のときに私のところにきて、「先生、実は私はこの授業をとっていないのですが、レポートを受け取ってくれますか」といってきた。試験を受けることは制度上できないが、レポートならばと受け取った。大変よく書けていた。私はメールで「優」を与え、これを「心の単位」と呼んだ。卒業のために単位はもちろん大切である。卒業履修単位が2単位足りなくても、卒業判定はできない(潤一郎代議士は 19単位)。だからといって、単位をとるためだけに授業に出ているというのなら、授業をする側からすれば何ともさみしい。潤一郎代議士も世間も、大学の「単位」について、あまりに安易に考えてはいないだろうか。潤一郎代議士の場合は「小さな嘘」だったが、その後の彼の言動は、これから大学を目指す若者たちに、「単位」についての誤った認識や印象を与えたという意味においては、決して「小さな嘘」ではないだろう。

  さて、潤一郎代議士について、福田官房長官は、「これ何なんでしょうね。嘘は泥棒の始まりっていうでしょ」といってのけた(1月 27日記者会見)。それでは福田氏に聞く。ブッシュ大統領の「嘘」はどうなるのだろう。ブッシュはイラク開戦直前の昨年3月17日には「間違いなくイラクは大量破壊兵器を隠している」と断定していた。今年1月下旬に、前・大量破壊兵器調査団長で元CIA顧問のデビッド・ケイ氏が「イラクに大量破壊兵器の存在を示す証拠はなかった」と証言して以降は、「私も事実を知りたい」(2004年1月30日)、「少なくとも兵器を作る能力はあった」(2月8日)とかなりトーンダウンしてきている。当初からイラク攻撃を「理解し、支持します」とサポートしてきた小泉純一郎首相も同様だ。純一郎首相は、「フセイン大統領が見つかっていないからフセインが存在しなかったと言えるか。全く大量破壊兵器がないと断定して言えるか」(2003年6月11日)などと、かなり破綻した「論理」を展開していたが、最近では、「隠そうとした人が言わないかぎり、見つけるのは難しいかもしれない」(2月10日付朝日)と、純一郎首相の発言にもどこか元気がない。「フセイン政権が倒され、イラク民衆は解放されたからいいではないか」という趣旨の発言が、政治家からも、それを支持するメディアからも出てきているが、こういう議論はきわめて不誠実である。嘘と知りつつ、戦争を始めたのだから、これほど罪深い嘘はない。去年から、何度かこの欄でも紹介した「イラク・ボディ・カウント」における民間人の死者数がついに1万人を超えた。純一郎首相は、「○○なくして○○なし」という紋切り型の言い方をするが、これは「本当」と「嘘」を見分けるのを困難にする技巧といえなくもない。「大きな嘘」というよりも、「構造的嘘」である。あるいは、内閣総理大臣が常時、嘘をいいつづければ、それは「嘘の制度化」といえるだろう。純一郎首相の内閣支持率が下がらないという不可思議の背景には、純一郎首相が堂々とつく「構造的嘘」の効用もあるのではないか。
   かつて、ナチス・ドイツのJ・ゲッベルス宣伝大臣は、「大衆は小さな嘘よりも大きな嘘に魅力を感じる」「嘘も百万遍いえば真実になる」といった。テレビの効果を加算すれば、本人が一度しかいわなくても、テレビが増幅してくれる点で、現在のメディアの状況は、ゲッベルスの時代よりもはるかに先をいっている。
  潤一郎代議士と純一郎首相の「嘘」。中身とスケールの点で違いこそあれ、この国の政治や社会にマイナスの効果を与えているという意味では共通性をもっている。なお、今回は「小さな嘘」に力点を置いたので、「大きな嘘」の方は2003年7月7日に出した「『サダムゲート事件』 戦争における嘘」を参照されたい。

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