雑談(33)音楽よもや話(3) マタイ受難曲 2004年3月22日

忙な日常の隙間に「至福の時」を見つけた。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と聖トーマス教会合唱団による、バッハ(J.S.Bach)の「マタイ受難曲」(Matthaeus-Passion BWV244b) を聴いた。「命の洗濯」という言葉を実感した。特定の宗教をもたない私だが、「マタイ受難曲」には思い入れがある。40年ほど前になるが、父が嬉しそうに厚い包みを抱えて帰宅した。それがオットー・クレンペラー指揮の「マタイ受難曲」の新譜だった。私がよく聴いた「マタイ」の演奏は、カール・リヒター指揮=ミュンヒェンバッハ管弦楽団と、オットー・クレンペラー指揮のフィルハーモニア管弦楽団=合唱団のものである。両者はまったく違う。後者はバッハというよりも、「クレンペラーのマタイ」といった方が正確だろう。特に歌手が凄すぎる。イエスはバリトンのディートリッヒ・フィッシャーディスカウ。このイエスの格調の高さ、深い声は他のあらゆる演奏を凌駕する。福音史家はテノールのピーター・ピアーズ。ソプラノのエリーザベト・シュヴァルツコフ、アルトのクリスタ・ルートヴィヒ、テノールのニコライ・ゲッダ…。身震いするほどの贅沢なメンバーである。私の若い頃は、これらの歌手の全盛時代だった。
 中学2年の冬休みに、音楽好きの友人(彼はその後、吹奏楽団の指揮者になった)と二人で音楽室を事実上貸り切って、大音響でクレンペラー版を聴いた。冒頭合唱(ホ短調)「来たれ娘等」では、二群の合唱が「見よ」(Seht)と「誰を」(Wen?)という形で掛け合う。それが、左右のスピーカーから見事に分離されて聞こえたときは、身震いがした。最終合唱が「われら涙してひざまずき」の激しいたかまりには、思わず涙がこぼれた。これが私の37年前の「マタイ体験」である。 この写真にあるレコードは音楽をこよなく愛した父が愛聴したもので、1962年発売の東芝エンジェル版。右下が私が買った同じ演奏のCDである。CDの乾いた感触がなじめず、今でもこの曲はレコードで聴くことにしている(といっても、2年に一度くらいの頻度だが)。
 ところで、バッハが作った受難曲はマタイ伝によるもののほか、ヨハネ伝やルカ伝など5曲がある。ヨハネ受難曲も名曲である。そもそも受難曲とは何か。日本ではクリスマスは日常行事化しているが、ドイツで生活してみると、イースター休暇も重要な休みであることを実感する。そのイースター(復活祭)前の一週間が聖週(受難節)とされ、聖書のイエス受難の場面が特に選んで朗読される。それを、いわばドラスティック(劇的)に仕上げたのが受難曲である。クリスチャンでなくとも、イエスが弟子に裏切られ、民衆の面前で磔になって命を落とし、復活していくクライマックスは感動的である(聖書マタイ伝26章、27章)。その意味で、受難曲はドラマ性と娯楽性をたっぷりもっていて、特にマタイは音楽作品としての完成度も高い。
 そのバッハゆかりの地がライプツィヒである。私は1991年と99年の2回、この古都を訪れた。ライプツィヒは、「ベルリンの壁」を内側から崩壊させた「東独市民革命」発祥の地でもある。市民活動家が集った教会や「月曜デモ」が行われた広場などがある。そうした現代史の焦点となる「史跡」(もう15年も「昔」になるので)と同時に、バッハゆかりの地として、さまざまな名所を訪れるのも大きな楽しみである。ここのゲヴァントハウス管弦楽団は、1743年創設の世界最古のオーケストラである。ベートーヴェンやシューベルト、ブルックナー(第7 交響曲)などの初演も行っている。
 今回のコンサートは私にとって、三重の意味で重要だった。バッハのマタイを、ゲヴァントハウス管弦楽団とバッハ自身が後半生を捧げた聖トーマス教会合唱団で聴く。これだけの要素が全部揃う機会は滅多にあるものではない。多忙な時期ということもあり、昨年のブルックナー・コンサートと同様の気持ちで、「だめもと」覚悟でチケットをインターネットで予約した。昔ならチケットを買いに並んだものである。そこで思い出したのだが(ここから話は一気に脱線)、今から約30年前、カール・ベーム=ウィーンフィルのコンサート(1975年3月17日、NHKホール)の席を確保するため、朝早くから並んだことである。この時のブラームス(交響曲第1 番ハ短調作品67)は火の玉のような、白熱の名演だった。ベーム自身にとっても最高の出来だったようで、そのことは彼の死後、夫人がNHK のインタビューで語っていた。そのライブはグラモフォンからCDにもなっている(F35G 20016)。私の一生の思い出に残るコンサートだった。今は、インターネットとクレジットカードで簡単に予約・決済できる。その気安さからか、最近は「だめもと予約」をかなり先までやっている。
 さて(と本論に戻って)、そうやって入手したチケットをもって、初台の東京オペラシティに向かう。18時30分開演で、終演は21時40分。ロングコンサートである。聖トーマス教会合唱団。ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。指揮はゲオルク・クリストフ・ビラー。「マタイ受難曲」の初期稿が用いられ、できるだけその当時に近い演奏が目指されている。聴きおわった感想は、心を洗われるような演奏ということに尽きる。冒頭に述べた「命の洗濯」をした思いである。特に印象に残ったところを少し書いておく。
 まず、アリアにバイオリンソロの伴奏がつく箇所がある。これが見事なのだ。ソリストはProf. Christian Funke。総白髪の教授である。楽器の響きも古風でいい。チェンバロの響きは本場ものである。オルガンはトーマス教会オルガニストのProf. Ullrich Boehme 。楽譜も初期稿を使うだけでなく、楽器や演奏の仕方も、現代的な装飾や解釈を排除して、どこまでも古典としての扱いに徹していたように思う。特に木管に響きに好感が持てた。バッハは、アリアの伴奏にフルートやオーボェなどのソロを巧みに振り分けて、楽しませてくれる。だから、この曲はテノールやソプラノなどのソリストと並んで、木管奏者の出来不出来が大きい。何といっても、この演奏会のポイントは合唱の見事さだろう。女性を一切使わず、ボーイソプラノですべてを表現する。どこまでも透明な響き。ソプラノ・ソロのパートも少年団員が歌う。これが女性よりも女性的で美しいのである。コラールの歌わせ方も違う。クレンペラー版やリヒター版は、コラールの切れ目は長めにとるが、この演奏ではテンポも早めで、あっさりとしている。休止をたっぷり使い、ことさら劇的な気分を盛り上げるという手法を排して、どこまでも、自然に、語りかけるような感じである。最終合唱の盛り上がりも、他の演奏にあるような、引き裂かれるような悲痛さよりも、内側に訴えかけるような響きだった。磔にされたイエスに向かって、「神の子なら、十字架を降りて来い」「他人を救ったのに、自分を救えないのか」と罵倒する民衆。イエスが息を引き取った後、地震が起こり、墓が開き、イエスが復活するのを目の当たりにして、うろたえながら思わず叫ぶ言葉。「本当に、この人は神の子だった」(Wahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen.)〔初期稿の第63曲b 〕。この部分は、クレンペラー版では徹底的に劇的に歌わせる。しかし、この演奏ではあっけないほどだった。それから、福音史家のテノール、マルティン・ペッツォルトは特に見事だった。イエスが息を引き取る瞬間の描写、`Aber Jesus schriee abermal laut und verschied.'という短いフレースが何と長く感じられたことか。もっと書きたい部分、感動的な部分はたくさんあるが、ここはあくまでも直言「雑談」のスペースなので、この辺で切り上げよう。ただ、「演奏後」について一言しておきたい。
 最終合唱の感動的な一音が消えると、深い感動が襲ってくる。一瞬の沈黙。「ここで拍手しないで」と祈るような気持ちになっていたのに、待ちきれない人たちが拍手を始めた。しかし、指揮者は動かない。周囲はまだためらって拍手をしない。私は指揮者が向き直り、礼をするまで手をたたかなかった。ボンでの在外研究中、市内の教会で行われる教会音楽の演奏会に妻とよく行った。バッハのロ短調ミサの時は、懇意にしていた外務省職員の家族と一緒に聴いた。冬。暖房が十分でない教会内で、コートを着たまま寒さに震えながら聴いたロ短調ミサは印象的だった。マタイやミサでは拍手をしないと聞いていたが、ボンの教会では静かな、しかし温かい拍手が演奏者に送られた。教会内にふさわしい気品のある拍手だった。今回の演奏会では、指揮者がまだ正面を向いているうちから大きな拍手が始まった。指揮者が合唱団を紹介したときは、何を勘違いしたのか、「ピーッ、ピーッ」という指笛まで聞こえてきた。よい演奏の余韻にひたるには、指笛にこれ以上付き合う必要はない。演奏者に一礼して、早めに駅に向かった。ともあれ、クレンペラー版が頭にしみ込んでいた私にとって、新しい「マタイ体験」になったことは確かである。